昨秋、のんべの店主が「獅子ヶ谷書林」を始めてすぐ、「お前も何か書け、もうブログ欄は作った」と、一方的に仕組まれて、書き始めたこのブログ。
のんべの店主は、気楽を装ったブログを書いていますが、「商売」となると、そうはいかないでしょう。おのれの才覚で食っていく「喜び」と「どん底」。両極端を日々感じながら、それでも好きな「本」にこだわるところが偉い。
しかし、初めは、無謀なこの店開きに、いつまで続くか、心配したものですが、まあ、なんとかやっているようです。全国区の応援、支援がこれほど彼にあるとは、驚きました。人柄でしょう。死んだら、地元、筆山にあるT野家の墓に、スタンダールではありませんが「読んだ。 飲んだ。 すった。」と、刻んであげましょう。
このブログもとうとう1年になります。1年で約100本、まあ、ペースはこんなものでしょう。「駄文」でも、人さまにさらけ出すには、それなりの「推敲」がいります。
この1年は僕の仕事再開、父の入、退院、自動車免許習得、ヘルパー免許習得、父の再入院と、けっこう目まぐるしい1年でした。父の肺結核はしばらく長引きそうで、帰りは毎日、病院に寄っています。家は家内と2人、静かな日々。
教師の仕事も退いて3年、「外の目」で見ると、この世界は「教育村」。図書館建設での対応、ころころ変わるご都合主義の「高校入試制度」、一方的な「小規模高校潰し」…すべてが腹の立つことばかり。「全国学テ」の点数を上げることだけに汲々する以外、何をやっておるのか、見えてきません。
これほど,教育行政において、「お上」が強権的だったことは、僕の教師時代にも無かった。
今後、ますます悪くなるでしょう。「もの言わぬ教師」たちは、じっと言われたことだけ何の文句も言わずに続けるしか無い・・・・?
かろうじて「元教師」の肩書は、部落の子どもたちに話をしてくれということで、細々と繋がっています。今度は「解放子ども会」で「水平社宣言」について話すことになりました。
目の前の「部落差別」に怒りを覚えながら、教師の出発点だった、最初の赴任地に帰ってきたこと、やっぱり「縁」があったのでしょう。「学校」で教えることは無くなりましたが、「開放子ども会」が、今の僕の「学校」。できることは引き受けています。