2011年10月21日

僕のブログも1周年

「獅子ヶ谷書林」1周年、おめでとう。

昨秋、のんべの店主が「獅子ヶ谷書林」を始めてすぐ、「お前も何か書け、もうブログ欄は作った」と、一方的に仕組まれて、書き始めたこのブログ。

のんべの店主は、気楽を装ったブログを書いていますが、「商売」となると、そうはいかないでしょう。おのれの才覚で食っていく「喜び」と「どん底」。両極端を日々感じながら、それでも好きな「本」にこだわるところが偉い。

しかし、初めは、無謀なこの店開きに、いつまで続くか、心配したものですが、まあ、なんとかやっているようです。全国区の応援、支援がこれほど彼にあるとは、驚きました。人柄でしょう。死んだら、地元、筆山にあるT野家の墓に、スタンダールではありませんが「読んだ。 飲んだ。 すった。」と、刻んであげましょう。

このブログもとうとう1年になります。1年で約100本、まあ、ペースはこんなものでしょう。「駄文」でも、人さまにさらけ出すには、それなりの「推敲」がいります。

この1年は僕の仕事再開、父の入、退院、自動車免許習得、ヘルパー免許習得、父の再入院と、けっこう目まぐるしい1年でした。父の肺結核はしばらく長引きそうで、帰りは毎日、病院に寄っています。家は家内と2人、静かな日々。

教師の仕事も退いて3年、「外の目」で見ると、この世界は「教育村」。図書館建設での対応、ころころ変わるご都合主義の「高校入試制度」、一方的な「小規模高校潰し」…すべてが腹の立つことばかり。「全国学テ」の点数を上げることだけに汲々する以外、何をやっておるのか、見えてきません。

これほど,教育行政において、「お上」が強権的だったことは、僕の教師時代にも無かった。
今後、ますます悪くなるでしょう。「もの言わぬ教師」たちは、じっと言われたことだけ何の文句も言わずに続けるしか無い・・・・?

かろうじて「元教師」の肩書は、部落の子どもたちに話をしてくれということで、細々と繋がっています。今度は「解放子ども会」で「水平社宣言」について話すことになりました。

目の前の「部落差別」に怒りを覚えながら、教師の出発点だった、最初の赴任地に帰ってきたこと、やっぱり「縁」があったのでしょう。「学校」で教えることは無くなりましたが、「開放子ども会」が、今の僕の「学校」。できることは引き受けています。


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2011年10月10日

安岡章太郎『流離譚』を生んだ家


3連休も2日間は仕事で、今日はやっと休み。

香美市美術館で「船越 桂」の彫刻展を観た後、山北にある「安岡家住宅」を久しぶりに見てきました。

「お下」の安岡家として、長編『流離譚』の舞台です。

幕末の当主、文助の3人の子どもたち、嘉助は土佐勤王党に参加、土佐藩参政、吉田東洋を斬り、脱藩上京。吉村寅太郎の天誅組に参加、十津川で敗れ、捕えられて京都で打ち首。
覚之助は本家の養子になり、戊辰戦争、会津攻めに参加、会津城下で流れ弾に当たり、戦死。道太郎は幕末を生き延び、植木枝盛たちと自由民権運動に参加。「よしや節」を作り、大衆的な運動を担います。

文助の残した「日記」を読み込みながら、章太郎さんは史実をベースに土佐の郷士の姿を『流離譚』で描ききりました。

20数年前には、色川大吉先生を連れて、母屋の縁側で、ご当主(安岡章太郎さんのいとこ)と話したことがあります。なにせ築200年近くの「郷士屋敷」、その後、広大な屋敷も、十分な修理ができないままになっていましたが、2005年7月、国の重要文化財指定を受け、現在は長い時間をかけて修理、復元中です。

御成門、本門、百姓門を持ち、敷地には射場まであった広大な屋敷ですので、維持管理が大変.個人宅で残す限界を考えると、国の文化財として残すしかないのかもしれません。

『流離譚』は長編大作、僕が読んだ日本の小説では島崎藤村の『夜明け前』に次いで長いかもしれません。読むには、相当の「根気」がいります。出たばかり(1981年新潮社刊 今は講談社文芸文庫 版切れ中?)の頃に読みましたが、むしろ、今、読んでみたい気もします。

著者の安岡章太郎さんも、もう90歳を超えました。お元気なのでしょうか?すでに「文化功労者」ですが、遠藤、阿川が「文化勲章」をもらったみたいには、この人はもらわんでしょう。そんな気がします。

最近は娘さんの治子さん(東大教授)が光文社古典新訳文庫でドストエフスキー『貧しき人々』『地下室の手記』の訳者として活躍しています。

今年は、つい最近、車で信州飯田、坐光寺周辺を通り、そこで、藤村『夜明け前』の青山半蔵が「平田国学」の門人と行き来したことを思い出したり、高知では、今日の山北の安岡家や『海辺の光景』で描かれた、あの「あこめ」(高知市瀬戸)の病院に行ったり、島崎藤村、安岡章太郎、妙にこの2人の作家に「縁」があります。


写真は「安岡家住宅」 国指定重要文化財

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2011年10月08日

『金枝篇』(岩波文庫)翻訳者 永橋卓介のこと

僕はいま、福祉関係の施設に勤めていますが、そこの「所長」のKさんは「本好き」。
元は県庁の部長さん。お役人には珍しく「文系軟派」。読書の好みが似ていて、よく雑談します。この1年でなかなか聞けない「県政裏話」をたくさん聞くことができ、わが故郷「土佐」を考えるとき、大いに参考になります。本好き、話好き、興味の範囲が似ている「先輩」がいるだけでも、この福祉施設に勤める甲斐があります。

先日は岩波文庫『金枝篇』(フレイザー著)の翻訳者、永橋卓介(1899〜1975)さんが中村高校の校長の時、生徒であったという話になりました(Kさんは昭和31年から34年在学)。

社会人類学の古典『金枝篇』は岩波文庫を代表する翻訳のひとつですが、訳者が土佐人であったことは、あまり知られていません。
たしか、地元新聞K社重役の、同姓のN氏も「一族」。

Kさんに「永橋卓介校長はどんな人でしたか?」と聞きますと、「小柄で端正、姿勢正しく、直角の道は直角に曲がる人だった。学校中にあの校長はすごい人という伝説があった」とのこと。近寄りがたい「オーラ」もあったのか、校長官舎に押し掛けて話を聞くなどということは無かったようですが、どこかフツーの校長とは違った存在であったようです。

僕もあの『金枝篇』を翻訳し、今もずっと読み継がれている(現在は文庫5巻の一部が版切れ)文庫本を、この土佐人が訳したことをちょっと誇りに思いますが、訳者、永橋卓介さんのことを書いた文献には出会っていません。地元、土佐でも伝記はありませんし、書かれたもの、本人が書いたものなども無いのではないでしょうか。

抄訳でも文庫5巻の『金枝篇』は、その名前は知っていても、読んでみようという「馬力」は起こってきませんが、そんな名著の翻訳者、永橋卓介さんが、どんな人だったか、誰かご教示願います。当時、一緒にやった教師や付き合いのあった人の話しを聞いてみたいものです。


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2011年10月07日

発見! 金高堂に「古書部」ができていました

朝倉にある「朝倉ブックセンター」にしばらくぶりに寄りました。新刊書を眺めていて、ふと、お店の西側のスペースに、何やら、本棚が並んで、どうも「古書」臭いなと、足を進めたところ、やっぱり「古書」コーナーでした。

けっこう買いたい本が並んでいるような気がして、しばらく「あさり」ました。

さすが金高堂、社会科学、哲学、美術、文学・・・・高知ではお目にかからない「古書」がけっこう並んでいました。
ヤスパースの「実存主義」が並んでいたり、安い価格の本は真面目な「書き込み」や線があったり、想像ですが、近くに大学があるので「重め」の本は先生たちの蔵書の放出でしょうか。まだまだ本棚に「空き」がありますので、「完成途上」という感じ。

「パルプ本」は商売仇「ブ」と同じ100円。他の本は破壊的価格は付けていませんが、それでも良心的価格。担当に「目利き」の女性を置いていて、新潮文庫の外国文学など、絶版、版切れをよく調べていて、定価より高い値を付けています。

これには「恐れ入りました」と脱帽するしかありません。しかし、こうした価格設定が高知でうまくいくかは疑問。どだい、それでも買いたい人が、この高知でどれだけいるのか?
お客の動きを眺めていましたが、新刊コーナーには集まっても、「古書」には流れていません。

いつから「古書コーナー」を始めたのかは知りませんが、「目利き」の担当者により、面白い「古本屋」になりそうに思いました。しかし、簡単には伸びないでしょう。

「文化不毛」の土佐で、こんな「古本屋」ができたことに感謝。ここは駐車場もあるし、帰りの「寄り道」が楽しくなりそう。社長のYさんは急逝しましたが、いい「置き土産」を残してくれました。

新刊書店の「間借り」ではなく、堂々と「金高堂古書店」になってほしい。書店員のセンスに任せて、勝負をしてみる・・・そんなバクチを打ってほしい。

早速 松永伍一著「土塊のうた」「土着の仮面劇」「森有正 小田実対談集 人間の原理を求めて」の3冊購入。3冊で800円。これは安いか、高いか、はたまた、フツーか?


写真はその3冊 、合計800円也

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「内山学級」2回目の勉強会


6日夕、哲学者 内山節さんを講師に、2回目の勉強会(講演)に行ってきました。

高知県自治労の付属機関「こうち自治研」の主催。自治労組合員の中にも、内山節さんから学びたいと考える人たちがいるのはうれしい。3月1日の第1回目の勉強会(講演)の後、「3,11」を経験し、内山さんは最近『文明の災禍』(新潮新書)を書いています。

近代以後の資本主義の発達は、「資本主義は無限に発展しなければならない」というテーゼのもとで、そのためには「自然も無限になければならない」という、ありえない「資本主義の不正」を持ちながら発達してきたこと。そうした矛盾の解決が「将来の科学の発展」に「丸投げ」され、今まで来たこと。そうして発展してきた「巨大システム」が「崩壊」したのが、今回の「3,11」であったと話されました。

また、最新刊の『文明の災禍』では
「・・・・率直に述べれば、危険だから原発はやめるべきだという論拠だけで、私は原発の終了を主張する気はない。もちろん、安全だとは思っていない。だがその前に、私は原発を必要なものだと考えるような生き方は、したくないのである。」
「私たちがつくりだした現代世界は、このようなところまできてしまった。現代文明をみなおさなければならないと多くの人が言う。しかし現代文明の表層をみなおしただけではどうにもならないだろう。焦点をあてなければいけないものは、もっと根源的な何か、である。」と記しています。
また、今回の講演の最後に、「悲観的、絶望的に世の中を見るのではなく、今回の東北大震災・津波後の脱原発行動や、ボランチアたちの活動や考えを見て、私たちの社会は前(昔よりは)から変わってきている。絶望感より、やれそうだという気持ちが強い」ことを強調していました。
内山さんにしては、ずいぶん「おとなしい」論理だなと、思わせられる場面もありましたが、「考えることを止めない姿勢」から鋭く発せられる言葉は、いつも、突き刺さってきますし、「宿題」を残してくれます。

僕はこの「講演」が、今後も継続していくのかどうかは知りませんが、ひそかに「内山学級」と名付けています。ただし、この「学級」、凄い「講師」のわりには「生徒」が少ない。

今は「テレビタレント」化した講師が人気の時代ですから、この高知で「哲学者 内山 節」から学ぼうとするのは、まあ、これくらいの人数でしょう。

いや、彼から学びたいという人々が「これだけ」いることが、高知での「希望」かもしれません。

以前のブログでも書きましたが(3月2日)、わずか、3歳年上の内山さんには最初の著書『労働過程論ノート』(1976 田畑書店)で出会って以来、「気になる物書き」として、ずっとマークしてきました。「山里」ものや「経済学」より、僕には『哲学の冒険』(正続2冊1985 毎日新聞社)が強烈でした。「よくもまあ、こんな本を、中学高校生のころから読んで、それも、今のオレよりずっとわかってる」という「思考のレベル」の違いを思い知らされました。この本は今では「平凡社ライブラリー」で再刊されていますし、何度読んでもいい。若い世代に読んでほしい。

写真は昨日の講演 、最新刊『文明の災禍』、「名著」の『哲学の冒険』(毎日新聞社)

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2011年10月01日

「明治」は悲しい時代です


「土陽新聞」明治41年(1908)1月1日 お正月の紙面
得月楼本店ほか
芸妓ノ部
春 小妻 喜蝶 花松 千代香 三ツ龍 駒春 駒助 ・・・・・・
娼妓ノ部
夕霧 喜孝 思君 文之助 遊蝶 葵 若千代 品子・・・・
その他の遊郭として
春日楼 大花楼 玉島楼 桃園楼 松月楼・・・・

新年の紙面の半分を使って、高知の遊郭の名前と、芸妓と娼妓の名(源氏名)の一覧
得月楼グループだけで芸妓66名、娼妓25名
お正月の特別紙面に堂々と、遊郭とお女郎さんの名前が載る、それも「地方名士」と同じ紙面。
こんなことが当たり前の時代だったようです、今では考えられません。

先日、勤め先の施設で観た『たけくらべ』(樋口一葉原作 五所平之助監督)には感動しましたが、主人公美登利(美空ひばり)や姉たち(岸恵子ほか)がお女郎さんや妾になっていく姿に、ちょっと得も言われぬ「悲しみ」を感じてしまいましたが、そんなことが特別珍しいことではなく、至極「当たり前」だったのが、「明治」の時代です。
こうした「風俗」や「文化」は戦後生まれの、もう60歳に手が届こうとする僕たちなど、「文学」や「映画」でしか知り得ない世界です。

ずっと続けている「高知市史 近代編 年表作り」の作業で、当時の「土陽新聞」のコピーをめくり、マーキング作業に取り組んでいますが、「老眼」が進みながら、紙面のこんな「広告」から歴史を学んでいます。

それにしても「明治」は悲しい時代です。


写真は『土陽新聞』明治41年1月1日紙面
得月楼や遊郭の新年広告


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2011年09月30日

現代医学の盲点 父が「肺結核」を発病、入院

信州から帰ってきてすぐ、デイケアー先から、「お父様の様子が元気が無いので診てもらったところ、肺炎を起こしていますので、そのまま入院させます」との連絡。その後、レントゲン写真から「どうも結核の疑いがある」とのことで、9月25日、感染病棟のある国立病院に入院。検査に回していた「たん」から「肺結核」との診断が出ました。夕方、毎日、世話に行っていますが、元気になってきています。

父は昨年暮れ、交通事故を起こし、胸骨骨折で入院、その後大きな脳梗塞の症状が発見され、4月初めまで入院していました。

「老人性肺結核」は最近は急激に増えていて、深刻な問題となっていますが、まさか、わがオヤジがそれにかかるとは、考えてもみませんでした。症状は「せき」や「たん」熱が出たり、体重が急激に落ちたりするようです。父は「せき」も「たん」「発熱」も無し、体重はこの4,5年で15キロほど落ちて、心配していましたが、それもまあ、老人ゆえあることぐらいにしか考えていませんでした。

どこで、どういうふうに「感染」したのか、断定はできませんが、「糖尿病」や「関節リューマチ」の薬から「免疫低下」を起こし、そうした弱った身体にもともと眠っていた「結核菌」が活動を始めたか、あるいは、ひとから「感染」したかだと「推測」します。

同居し、もっとも身近に父のそばにいるのは、僕と家内、2人とも最近の検診で「胸部レントゲン」は撮り、「異常なし」です。
法律で100日後に、僕たち2人は「検査」が義務づけられているようです。

医師からの説明では父は「重症」で、最低3ヶ月は入院となりそう。「せき」から放出される「結核菌」がなくなるまで薬を飲まなくてはならないし、薬の「副作用」が弱った「老体」にどんな悪影響するか、「楽観視」はできないとのこと。治療中、「劇症肝炎」を起こすと、まず、助かりません。

それにしても、「まさか肺結核とは」というのが正直な気持ちです。「せき」や「たん」「微熱」など典型的な「結核」の症状が無かったため、かかっている病院もレントゲン写真は撮っていても、どうも見逃していたように思います(あくまで推測ですが)。

専門医師も「写真からだけでは肺結核の診断は難しい」とのこと。
安静にして、栄養をつけながら体力を付け、薬で治すのが「治療」ですが、恥ずかしいことに、「肺結核」に気付かず、週4回もデイケアーに行かせ、「筋力」が衰えないよう「運動」をさせていた「ばか息子」の僕。苦しい症状が今まで無かったため、そんな逆効果の「運動」を嫌がりもせず繰り返していた「父」。口には出しませんでしたが、さぞ、しんどかったことだと思います。ほんとに「アホな息子」です。語る言葉がありません。

定期的に「レントゲン」も撮り、どんなに「医学」が進んでも、病気としては、「難病」でも無く、「感染症」のひとつであり、今や「古典的」な「結核」が、こんな状態で引き起こされるとは・・・「老人性結核」は現代の医学の進歩をついた「盲点」です。恐ろしい。

「ばか息子」の僕に「医学」は語れませんが、今は父がよくなることを願うだけです。


写真は帰っていた次男と「父」
9月24日、まだ感染病棟に入る前に撮る

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2011年09月20日

第3回映画会開かれる


台風の雨が続く土佐路ですが、今日は僕の勤めるホームで映画会を開催。

高知の自主上映グループ「小夏の映画会」を主宰する田辺浩三さんが、お年寄りにぜひと16ミリフィルムを使った『たけくらべ』(昭和30年 五所平之助監督、美空ひばり、岸恵子、山田五十鈴ほか)を映写機、フイルムをかついで、駆けつけてくれました。

田辺さんは、今の学校教育の在り方には、相当、疑問を持っていますし、学校以外で何もしない、おとなしい教師の姿には「怒り」すら感じています。

手弁当で、赤字覚悟の映画会をやっても、学校の教師は、まず、観に来る者はいないと、よく言います。確かにそうです。
組合に入る教師も激減しましたし、政治や環境、原発、さまざまな社会問題の会合や集会にも教師はほとんどいませんし、発言を聞くこともありません。

そう言えば、昔はどんな自主上映会をやっても、必ず、教師は見に来ていましたし、どんな会でも、必ず教師の参加がありました。しかし、本当に見なくなりました。「おとなしく」「いい子」になっています。

僕も若い頃は丸木位里、俊夫妻を撮り続けた土本典昭さんのドキュメンタリー『水俣の図』や、林竹ニさんの授業記録『開国』や『人間について』を東京から重たいフイルムを担いで帰り、地元で上映会をやったものです。赤字や参加数を心配しながら、それでも地元のひとに観てほしい、そんな時、1人で動くのではなく、教師以外の協力者がいました。普段からの「繋がり」があったから、こうした催しも可能だったと思います。

施設の上映会はDVDではなく、35ミリ映画フイルムを16ミリに焼き直したもの、
すこしでも昔の映画館の雰囲気を出してやりたいとの趣向です。

今回の作品は樋口一葉の『たけくらべ』を原作に文芸作品としたもの、主人公、美登利に美空ひばり、姉役に岸恵子、美登利に恋心を持つ少年役は若き日の市川染五郎(現松本幸四郎)、あと、佐々木孝丸、中村是好、山田五十鈴、望月優子など、ベテランが脇を固めていました。

田辺さん曰く、歌手の美空ひばりが唯一「歌わない映画」とのこと、映画としても良くできていて、家のため、妾奉公や、芸者、女郎になるのが珍しくなかった、悲しい時代が、この国にはつい最近まであったことなど、一葉の原作を読んでみたくなりました。

次回、第4回目は、来年3月頃、山田洋次の喜劇か、木下恵介の「野菊のごとき君なりき」をやろうかということになりました。

写真は第3回上映会 『たけくらべ』


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2011年09月19日

無事、帰ってきました。総走行距離1550キロ


9月17日、台風で徳島道と山陽道が一部、通行止めになっていましたが、思い切って、8時出発、片道、約700キロ、走りに、走って、夜7時、八ヶ岳のふもとの村に到着。12時間のドライブでした。
一番たいへんだったのは徳島道、大雨で前がよく見えず、今回ばかりはトンネルの方が雨をしのげて楽に思えました。

途中、3か所で給油、徳島道、明石大橋、阪神高速、名神、中央道、長坂インターで降り。国道141を佐久方面に走り、家内の実家、長野県南佐久郡川上村に到着。海抜1100メートル、八ヶ岳を望む高原の村です。

村はレタスの産地として有名ですが、土佐と比べると、涼しくて楽。今年は暑いそうですが、それでも、朝6時の気温は15度、冬はマイナス10度を越します。

5月から10月までは信州、11月から4月までは土佐に住むのが理想ですが、現実は厳しい。

18日は村の文化センターで、大深山(おおみやま)遺跡出土の縄文土器を観たり、金山跡の遺物(家内の父が文化財保護委員で発掘)を観ました。
その後、馬越峠(まごえとうげ)を抜け、南相木(みなみあいき)と北相木の両村をドライブ、川下に下り、千曲川沿いの小海町、東馬流(ひがしまながし)の秩父事件戦死者の墓地や最後の本陣を回りました。

秩父事件最後の本陣となった井出家は、なんと、家内の父の従妹のところ、村に帰ってきて、そのことを聞き、驚いたことでした。
家内の親戚筋には、相木出身の秩父事件参謀、井出為吉(困民党軍壊滅後、潜伏、のち、逮捕され、懲役8年、憲法発布の恩赦で出獄)の家からも、嫁いできているとのこと。

18日は朝、7時半に信州出発、夕方6時に土佐に帰りつきました。

自動車免許を取ったのが3月7日、車が来たのが3月24日、まだ6カ月にならないうちに、少々「無謀」でしたが、事故もトラブルを無く、3日間で1550キロを走り抜きました。

「高速」はただ、ぶっ飛ばすだけ、知らない、行ったこともない村々をチンタラ走り廻る方が面白いですが、今回は、まあ、「腕試し」、土佐から信州は、やっぱり、遠いです。



写真は秩父事件、最後の本陣となった井出家と戦死者墓碑、川上村の様子、レタス畑と八ヶ岳ほか



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2011年09月18日

信州まで運転してきます

台風の影響による雨も心配ですが、17日から19日まで、1人で運転して家内の実家まで帰ってきます。

ちょうど、車に乗り出して半年。今回は高速を使って8時間、土佐から八ヶ岳のふもとの村(長野県南佐久郡川上村)まで、初めての挑戦ですが、がんばってみようと思います。
高知道、高松道、瀬戸大橋、山陽道、名神、中央道の小淵沢まで、高速道路ばかり、村はそれから国道を走り1時間。片道700キロ。

まだ、免許を取って6カ月、「無謀」という声もありましたが、これも挑戦。

あいにく雨になりそうですが、スピードを出さず「安全運転」を心がけなくては。
また、後日、「無事」(?)に帰ってきたら、報告します。

(明日、台風で交通事情が悪かったら、中止。いずれ挑戦します。)

posted by うんちくウメッチ at 00:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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