2012年02月25日

久々の21世紀「八朗学級」

24日の夜は、久々の「八朗学級」。今夜の講師は詩人の林嗣夫先生。

ちょうど、獅子ヶ谷書林のT店主が先生の『詩集土佐日記』を取り寄せ、その詩のなかに自分の名が出ていると書いていました。偶然です。

今回の「授業」の題は「3,11以後と、山尾三省のこと」

先生は、あの地震と津波、原発事故から、ずっと「科学」や「文明」について考えていたようです。

授業は山本義隆、池内了、中沢新一たちの論考を紹介しながら、詩人山尾三省の『銀河系の断片』(幻戯書房2009年)から、かれの生きかたや思想について学んだことの報告でした。

「彼(山尾)はアメリカでの同時多発テロの2週間前に亡くなった。ほぼ同じ世代であり、わたしは約10年生きのびて75歳になっている。そろそろ公の仕事もおしまいにし、その先の生き方も考えなくてはと思っていたら、大震災や原発事故が起き、現代社会に大きな亀裂が走った。ちょうどこのころに山尾三省に出合うということは、偶然であったが、引力にも似た必然を感じてしまう。」(同人誌『兆』152号「「生きかた」の自覚 山尾三省のこと」)

林先生、この春にはG高校の「国語講師」をやめ、51年間の「教師人生」を終えるとのこと。
振り返ってみたら、僕たちが習った頃は、まだ30代前半。若かった。僕はわずか「29年」で教師をやめましたが、先生の「51年」には、言葉もありません。


山尾三省  「一日暮らし」

海に行って
海の久遠を眺め
お弁当を食べる

少しの貝と少しのノリを採り
薪にする流木を拾い集めて   一日を暮らす

山に行って
山の静かさにひたり
お弁当を食べる

ツワブキの新芽と少しのヨモギ
薪にする枯木を拾い集めて   一日を暮らす

一生を暮らす  のではない
ただ一日一日
一日一日と 暮らしてゆくのだ


「「一日暮らし」というのは、“その日暮らし”ということではない。正受老人という人の言葉に基づいているという。死ぬまでに何かしよう、と考えていたら結局なにもできずに終わってしまう。一日一日をよく暮らす(完成させる)工夫をすることが要だ、という意味のようである。(林 前掲書)」


こらっ!林先生の「弟子」であるT店主よ。最近のお前の「一日暮らし」とは何や!(蛇足です。ゴメン)

写真は「八郎学級」の林嗣夫先生  

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posted by うんちくウメッチ at 22:14| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はいはい、自堕落な毎日を繰り返している店主であります。
馬鹿は死ななきゃ治らないというのが実感かも。
でも

一生を暮らす  のではない
ただ一日一日
一日一日と 暮らしてゆくのだ

というのは骨身にしみますねえ。
刹那的で破滅型な性格故、よくわかる気がします。

いい詩をありがとう。
Posted by のんべの店主 at 2012年02月25日 22:52
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