2012年02月10日

加藤周一はおそろしく鋭い

亡くなって4年もたつ加藤周一(1919〜2008)さんの著作や講演集が、よく出ています。
晩年は「九条の会」の呼びかけ人の一人でしたが、亡くなってから、改めて加藤さんの「言葉」が人々の「共感」を得ているようです。

最近『ひとりでいいんです 加藤周一の遺した言葉』(講談社2011,)を読み、やっぱり凄いなと、あらためて再認識。

「とにかく、日本人には「人間一般」という考え方が普及していないんじゃないですか。「人権」といっても、じっさい「日本人権」でしょう。「人間」で想起されるのは日本人じゃないでしょうか」

林達夫や渡辺一夫についても、僕など、そこまで考えつかない「鋭さ」を見せつけられました。

例えば林達夫が戦争中、「沈黙」を守りながら(加藤はそう書いているが、実際は林達夫も政府の海外宣伝雑誌の編集顧問的な立場にいたこともある・・・・U原)、「園芸」に没頭していたことをとらえて。

「林さんの場合「沈黙」が抵抗だった。それで、庭にラベンダーを植える。ラベンダーは外来種ですから、これは万世一系の純血主義に対する抵抗です。つまり、外来種だろうと日本の土に根を降ろすことができるということで、思想の普遍主義を表現していた。」

「渡辺先生のお宅は本郷にあったんですが、・・・・ラテン語を書いた木刻レリーフが掛っていた。

Odero si potero できれば憎みたい
Si non   さもなければ
Invitus 反対に
Amabo 愛するだろう

渡辺先生には渡辺先生の「日本」があり、その「日本」を愛し、そして、軍国主義の「日本」とその戦争を支持する「日本」を憎んだ・・・・といえば、整理された話で、現実には、そのふたつの「日本」は重なる部分がありますから、内面での葛藤は強いものだったはずです。したがって、「できれば憎みたいが、そうでなければ、愛するだろう」という告白になったのでしょう。」

最近『林達夫とその時代』(渡辺一民著1988年岩波書店)が復刊されたり、加藤や渡辺一夫が取り上げられたり、みんな暗い「戦争の時代」を潜ってきた「知識人」、それも故人。

混迷を深め、閉塞感に満ち、若者も何か「元気」のないこの時代。恃むべき「知識人」も見いだせず、なぜか、落ち着かない・・・・。
この国の「歴史」では「震災」の後、いい時代はありませんでした。やっぱり今は「戦争前夜」か?

若い頃、朝日新聞連載の『山中人間話』(福武書店1983年、のち連載は「夕陽妄語」へと続く)で加藤は「日本の保守化は、アメリカの場合ほど大きな影響を世界に及ぼさない。しかしアメリカの場合とちがって、国内の民主主義を殺すことになるかも知れない」と警告しています。忘れられない言葉です。

僕の大学時代は、すでに、70年前後の「熱気」はとうに薄れ、若者が社会や政治に「異議申し立て」することが「カッコ悪い」、「おとなしい時代」になりかかっていました。そんな時、平凡社の『林達夫著作集』7巻(1971年〜)は、直接には政治を語らず、文学的,比喩的な表現を通じて、暗に「社会を視る眼」を鍛えてくれました。

「もの言うなら声低く語れ」と諭してくれたのも彼です。

今、本棚にまとまって残るのは、林達夫、加藤周一、竹内好、森有正、橋川文三たち。


写真は『ひとりでいいんです』(講談社)、『林達夫とその時代』(岩波書店)

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posted by うんちくウメッチ at 22:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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