2012年02月09日

追悼 石元泰博さん   「異端」でいい。

2月6日、高知出身の写真家、石元泰博さんが亡くなりました。90歳。
地元新聞でも大きく報じられ、数人の関係者の記事も出ました。

昨年11月、『写真家・石元泰博の眼−桂、伊勢」が出身地の高知で開かれたことが、せめてもの慰めとなってしまいました。

ドイツのバウハウス(シカゴへ亡命)のモダニズムを身につけた石元さんは、戦後の日本に帰ってきて(後に日本国籍取得)活動しますが、「リアリズム」が主流の日本では、「異端」の存在でした。

35ミリの小型カメラ(ライカ)を使った「シカゴ」シリーズは日本人離れの「カメラアイ」で評価されましたが、活動の主舞台は「大型カメラ」(たしか、スイス製のジナーを日本に紹介?)による平凡社の雑誌『太陽』での活躍や、仏教美術の曼荼羅図、桂離宮や伊勢神宮の撮影でした。常に写真界の「異端」を歩き、「主流」や「流行」とは外れていました。
そのため、「高知県展」の審査員など、ほとんどやっていないと思います。

高知県立美術館は、石元作品さんの作品のほとんどの寄贈を受けています。何度も書いていますが、「企画展」をやることも大事ですが、「常設展」で、作品展示をすべきです。
生前、故人は、どこよりも、出身地の高知に残したい「遺言」を実行しました。

その「遺言」に応えて、「石元泰博記念館」は財政的にも無理でしょうが、現在の手狭な「高知県立美術館」を改装してでも、「常設展示室」は作るべきです。どうしても無理なら「常設展示コーナー」を確保すべき。

もともと土佐人は「常識」を外れた「非常識」が得意。既成の「価値」を尊ぶよりも、「異端」に価値を見出し、誰もやらないことをやる「県民性」?。言ってみれば、物事の「概念崩し」が「得意分野」だったはず?

しかし、この「得意分野」の「漫画」さえ、まだ、県立施設への保存、収蔵はされていません。県立の「漫画記念館」も無いし、美術館には「漫画展示コーナー」すらありません。

海洋堂のフィギィア館は宮脇さんが自費で建てたものですし、藁工倉庫での「アール・ブリュット」は「志」でできたようなもの。「文化」は「行政」が手を出すと、碌な物ができませんが、それにしても「常識はずれの土佐人の良さ」はどこに行ったのか?

あの「絵金」も、かつては「忘れられた存在」でしたし、「坂本龍馬」も似たようなもの。すべて「県外人」の外からの「再評価」だったと思います。土佐人は、自分たちで、もうちょっと「智恵」をひねり出すことは不可能?

いつも「全国最下位クラス」の「学力」が、こんなところにも「影響」していないことを願います。いや、「上位」クラスに入って、「常識」人間ばかりになるのは、もっとツマラナイ。

学力」が「点数」だけでは、土佐らしくありません。
「感性」は「点数」だけでは生まれません。



写真はライカを持つ石元泰博さん(『季刊クラシックカメラ』�7 2000年)より

P1010002_R.JPG

posted by うんちくウメッチ at 19:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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