2012年02月09日

植木枝盛 「憲法草案」出てくるか?


今日の朝刊に植木枝盛邸のふすまの裏張りから、枝盛が書き写した可能性のある文書が出てきたと、報じられていました。

昨年、市内、桜馬場に残っていた植木枝盛邸は老朽化が進み、書斎だけを自由民権記念館に移築し取り壊されました。その時に持ってきた「ふすま」は民権記念館のスタッフにより、「下張り」を一枚一枚、薄皮をはがすような作業が続けられています。枝盛の父の書状は出てきていましたが、気長な作業から、ついに今回の「発見」となりました。

枝盛邸のふすまの下張であること、枝盛の「筆跡」に似ていること、『枝盛日記』にこの書き写した「本」を後に購入したことが記されていることなどから、今回の「発見」を枝盛筆写の「根拠」としています。おそらく間違いないでしょう。

数少ない自由民権記念館スタッフは日常業務をこなしながら、おまけに気長な「下張はがし」作業を続けていますが、今回は「大手柄」。

今後、どんなものが出てくるか? ひょっとすると『大日本国国権案』の「下書き」や「草案」が出てきたら、「民権運動史」の書き換えを求められる「大事件」?となります。

不朽の名著『植木枝盛研究』(1960年岩波書店)を書いた家永三郎先生は、取り壊された枝盛邸の書斎に泊まったと記していますが、まさか「ふすま」をはがすことなど想像もしなかったでしょう。

中江兆民は「岩倉使節団」の大久保利通に頼みこんで「押し掛け留学」でフランスに行きますが、枝盛は学校にも行かず、「独学」で、あの『東洋大日本国国憲案』を書きました。
当時のさまざまな「翻訳書」を勉強した努力の結果ですが、あの「抵抗権」まで入れた「憲法案」に行きつくまでには、相当の「試行錯誤」があったと想像されます。

その証拠が「下張」から出てきたら、それはそれで、家永三郎先生も「本望」でしょう。

「解剖学的作業」(?)を進める民権記念館スタッフに「拍手」。


写真は解体前の枝盛邸(北裏側)と 新聞記事(高知新聞2月9日朝刊)

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posted by うんちくウメッチ at 19:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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