2012年01月22日

写真もいいベン・シャーン

獅子ヶ谷書林の店主もベン・シャーンを取り上げていますが、今夜のEテレでも取り上げていました。

「写真小僧」でプロを目指していた頃は、アメリカの写真をよく見ました。
アメリカは早く「グラフ・ジャーナリズム」が発達し、『ライフ』に代表される写真情報誌は、「報道写真」を志す僕たちには、「お手本」的な存在でした。

キャパの第二次世界大戦、岡村昭彦、沢田教一、酒井淑夫のベトナム・・・そして僕もピュリッアー賞を取る・・・まあ、夢みたいなものですが、当時の「写真小僧」の「目標」でした。

1930年代、「世界恐慌」に陥ったアメリカは、荒廃した南部の農村地帯をFSA(農業安定局)のプロジェクトとして、カメラマンを多数雇い、記録写真として残しました。

ドロシア・ラング、ウオーカー・エバンスなどは、今でも「ああこの写真は見たことがある」と言われる名作を残しています。「記録」として撮った膨大な写真が、今では「歴史の証人」」として、大きな遺産となりました。こういうところは、アメリカは本当にエライ。

ある時、彼らに交じってベン・シャーンの写真が紹介されていて、「あれ、画家なのに?」と疑問を持ったのが「写真家ベン・シャーン」との出会いです。

1月号の『芸術新潮』はベン・シャーンが1960年に来日し、京都で1か月過ごした、その時の写真も掲載。
これは初めて観ました。なんでもない写真なのに、やっぱりうまい。

この時は有名な「俵屋旅館」に滞在していますので、この旅館に「入り婿」(?)で入ったアーネスト・サトウ(アメリカ生まれの写真家。美術作家 森村泰昌が京都市立芸大で写真を習う)が、旅館にいたはずですから、2人はどんな出合いをしたのか、あるいは無かったのか?

アーネスト未亡人の佐藤年さんが、1か月滞在したベン・シャーンの様子を少しコメントしていますが、はたして2人の「写真家」はどうだったのか?もし、出会いがあったのなら、聞いてみたい。

アーネストは「偉大な教師」でしたが、来日してからは、日本の写真の世界では現役のカメラマンをやめ、大学の教師になります。やや、「時代」に乗り遅れた気もします。彼が再評価されてきたのは、「弟子」森村泰昌の力が大きいです。

それにしても、ベン・シャーンは絵もいいですが、最後まで写真家としても、すごい眼差しを持っています。

写真は1月22日放映「日曜美術館」より「ザッコ&バンゼッティー事件」、FSA時代の写真など
京都の写真は「芸術新潮」2012,1月号より

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posted by うんちくウメッチ at 22:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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