2012年01月21日

父たちの証言が本になりました。土讃本線を守った土佐魂

ややマニアックな『レイルマガジン』(http://www.rail-magazine.jp/rm/rm339/index.html)という鉄道雑誌が、2011年12月号で、高知の「土讃線」を特集しています。題して「災害多発線区 土讃本線を守った土佐魂」。

明治、大正、昭和と、鉄道は全国に張り巡らされましたが、四国山脈を抱える土佐は、最後まで鉄道は引かれませんでした。多度津、須崎間が全通したのは昭和10年。地方鉄道としては早くはありません。吉野川沿いの崖を削り、トンネルを掘り、四国山脈を貫く、難工事でした。
出来上がっても、「ドシャン線」と言われるくらい、災害に弱く、たびたび不通になりました。崩壊する崖を避けるため、トンネルを増やし、営業成績では追いつかない補修費用のため、常に「赤字」、もっとも維持が難しい「酷鉄」でした。

昔の政治家は自分の選挙区に鉄道を通すのが「代議士の実力」。誘致を巡って、政争が絶えませんでした。当時の新聞は、強引な誘致を「我田引水」をもじって「我田引鉄」と表現しています。
土佐出身の仙石貢(鉄道大臣、満鉄総裁)などは、僻遠の土佐などに鉄道を引くことよりも、先に通さなければならないところがあると、高知県への誘致には消極的だったと聞いています。

「吉田茂は土佐のためには、何にもやらなかった」と、逆に自慢する土佐人もいますので、
「土佐より天下、国家」という優先順位はほめるべきでしょう。いや、ほんとは欲しくても「やせ我慢」するところが土佐人の良さ?

選挙区の高知のことよりも、敗戦日本の復興、独立に汗をかいた吉田茂を、土佐人は、もっと評価してよいでしょう。

ただし、僕は、そんなオヤジを距離を置いて見た、英文学者、吉田健一さんの方が好き。

父は昭和16年春、国鉄高知機関区に入り、機関助士、機関士、戦後は検査係、指導係、四国支社、機関区の助役と進み、最後は高知機関区長で退職。40年間の「国鉄人生」でした。
かつて、蒸気機関車を運転した「機関士あがり」は、「罐焚き」で「炭塵」を吸ったせいか、若い頃の無理がたたり、80歳を超えたOBは少ないです。そのため、現場を知る「生き字引」的な父は、新聞などから、よく取材を受けました。

一昨年、編集者が来高、父たちから取材し、1年後の昨年10月発行。しかし、父には読みとおす体力は無く、ベッドサイドで僕が読んであげました。出来上がるのを見届けることができて良かったです。


写真は父の「機関車、鉄道コレクション」 今や「お宝」 
SLの気笛、 タブレット、ナンバープレートなど

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posted by うんちくウメッチ at 22:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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