2011年12月05日

生き残った者もあわれです。  旅順攻撃

司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』がテレビドラマ化され、つい、昨日は旅順攻防をえがいていました。

先日亡くなった父は司馬さんの作品が好きで、『坂の上の雲』は数回読んだようでした。昨年までは、このテレビドラマを楽しみに見ていましたが、クライマックスに当たる、今回の旅順攻撃、日本海海戦を観ることなく逝ってしまいました。

僕は司馬さんの、それほど熱心な読者ではありませんが、父に勧められて『坂の上の雲』は読みました。面白く読めましたが、それ以上のめり込まず、どちらかというと、吉村昭さんの方をたくさん読んでいます。

歴史は好きですが、「歴史小説」はあまり読んでいません。小説より、ノンフィクションの方が面白かったためです。

ドラマを見ながら、ひょっこり思い出して、取り出したのが、写真の「感謝状」。
数年前に亡くなった、父の義理の弟、I叔父から「おれが持っていても、やがて消えてしまう。お前が預かってくれ」と頼まれた物。

I叔父の祖父、源之丞さんは旅順要塞、東鶏冠山保塁の攻撃で、重傷。足と腰をロシアの機関銃に撃たれ、「貫通銃創」、命は助かり、生還します。亡くなった父は「源之丞さんは、足と腰をやられ、土佐でいう「チンバ」で、百姓仕事は十分できなかった。田畑をひとに貸し、その上がりで食っていくようになった。傷痍軍人としての誇りで生きたようなもの」と、昔、語ってくれました。

死ぬも地獄、生きるも地獄の旅順。100年前の「感謝状」が物語るのは「悲しい歴史」です。

司馬さんは日露戦争を「祖国防衛戦争」と定義しましたが、「祖国」である日本の国土で戦われたわけではなく、当時の中国が戦場でした。

この司馬さんの定義には賛成しかねますが、司馬さんは晩年、バブル、土地投機に狂奔する「この国のかたち」を見て、「人間は進歩しない。世の中が便利になるだけだ」と「あきらめ」にも似た「司馬史観」を持って亡くなりました。龍馬や秋山兄弟だけで押えることのできない司馬さんの「哀しみ」を想います。

写真は「感謝状」明治40年

P1010791_R.JPG


posted by うんちくウメッチ at 20:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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