もろさわさんは沖縄、高知、故郷の信州にある、3つの「歴史をひらくはじめの家」を拠点に執筆に取り組んでいます。今回、新たに、僕の勤めるグループ・ホーム「いきいきの里」が気に入り、12月6日に来所しました。
もろさわさんは、1925年長野県に生まれ、家が傾いたため、学校は小学校までしか行けず、その後、東京に出て、陸軍士官学校の事務員、新聞記者などに従事します。1969年 『信濃のおんな』(未来社)で、毎日出版文化賞を受賞。女性史研究の草分けの一人です。
今回は施設に送った荷物の片付けですが、10日には沖縄に行き、寒い季節は沖縄と高知で暮らし、夏は生まれ故郷の信州と、暑さと寒さを避けながら、気に入った土地で、執筆するようです。
今回、「そろそろ自伝をまとめてみませんか」と、仲良しの森田益子さん(被差別部落出身の元、高知市議、県議)が勧める場面に出くわしましたが、もろさわさんは「自伝より、まだまだ書きたいことがいっぱいあります。100まで生きて、書き続けたい」とのことでした。
『おんなの歴史』(合同出版)から始まった旺盛な執筆は『信濃のおんな』、『おんなの戦後史』、『わが旅・・・沖縄・信濃・断想』(共に未来社)『いのちに光あれ 女性史と差別』(径書房)などになり、底辺から見たおんなの歴史や、差別と闘って来た被差別部落のひとびとの生き様。虐げられ、踏み付けられても這い上がり、生き抜くひとびとを取り上げてきました。
彼女の書く「おんな」には、恵まれて、世に出た人など、一人もありません。
僕の勤めるグループ・ホームも朝倉の被差別部落のど真ん中。自分の立つ位置、書くテーマを明らかにすることによって、党派性にこだわる編集者は逃げていったと、おっしゃっていましたが、彼女はずっと、自由に、柔軟に、自立して、書き続けてきたと思います。
現在85歳、戦前、戦中、戦後、そして21世紀の今と、彼女が生まれ、生きてきた時代と、歩みそのものが「おんなの歴史」です。
とても85歳とは思えない、若さと情熱、おしゃれな姿に圧倒されました。
僕は「おとこ」ですが、高知に滞在する間は、お世話をしながら、こじゃんと、もろさわさんから、学びたいと思います。
写真は
もろさわさんと肩を組んで U原 12、8撮る
こんにちは。
岐阜に住む大澤茜と申します。
もろさわさんで検索していたらここにたどり着きました。
私は、長野出身でもろさわさんに名前を付けていただいた者です。
今、お写真でお元気そうな姿を拝見できて嬉しかったです。ありがとうございます。
もろさわさんにも宜しくお伝えください。
では、失礼します。
閉まっていましたが、それでも満足して帰られました。