2012年04月01日

春の信州

家内の父はことし85歳,母は79歳。レタスを作り、2男、2女を育てました。高原レタスは村をあげて成功しましたが、無理に無理を重ねた身体は、病気も出てきて、心配も多くなりました。「ちょっと様子を見てこよう」
3月28日夕、高知を出発、夜に京都泊、アルバイトで生活している次男の様子を見て、翌29日に、信州の実家まで車を飛ばしました。

免許を取って1年。昨年9月には「軽」で挑戦しましたが、今度は家内と2人で交代で運転、家内の「普通車」で飛ばしました。往復1500キロの高速道路の運転は、やっぱり、普通車が楽、「軽」と比べ、静かでストレスが違います。全行程の三分の二は僕が運転しました。

春の信州行きは初めて。八ヶ岳や南アルプスに残る雪景色はよかったです。
30日は信州も最高の陽気でしたが、翌日は日本列島大あらし。寒い雨や雪がちらつき、また、冬へ逆転、4月1日は、マイナス5度の朝となってしまいました。

南国高知では、今年の冬の最低気温が、マイナス3度ぐらいでしたが、ここ信州では4月1日でマイナス5度。特に珍しいことではないようです。高知は今、桜が満開ですが、こちらの桜は5月の連休明けぐらい。

家内の実家のある南佐久郡川上村は、今年の冬は厳しく、マイナス26度の日があったとのこと、「信州のおじいさんとおばあさんの2人を、せめて冬だけでも、高知に来てもらったら、過ごしやすいのにねえ」と、よく話していますが、やっぱり、生まれ育ったところがいいのかもしれません。

昨年、57歳で取った車の免許、僕もいつまで長距離運転ができるかはわかりませんが、高知、信州、往復1500キロのドライブは、家内と2人では、今後しばらくできそうです。これからは、時間を見つけ、途中の高遠や、松本、ずっと奥の雪の飯山まで、足を伸ばしたい・・・そんな時間が持てる日を夢みています。

写真は八ヶ岳、南アルプス、マイナス5度の寒暖計、 薪ストーブをくべる家内の父


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posted by うんちくウメッチ at 22:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大感動!『野菊の如き君なりき』  当たり前の「風景」は消えてしまった

3月21日、第4回いきいきの里映画上映会を開催。

木下恵介監督、伊藤左千夫原作の『野菊の如き君なりき』(昭和30年松竹).。
大勢のお年寄りが涙で感動していました。これはやってよかった。

上映に協力してくれた、『小夏の映画会』を主宰する田辺浩三さんによると「木下監督は、この映画の後、もう日本の消えた農村風景では、まがい物の映画は撮れても、それは嘘。私にはもう撮れない。」と、昭和30年のこの作品について語っていたとのこと。

原作の舞台は江戸川周辺ですが、監督は自然描写を考え、舞台を信州におきかえ撮っています。原作の時代背景は明治の日清戦争後、明治30年前後でしょう。
昭和30年には、まだ、「明治」をイメージできる農村風景が、残っていたのでしょう。
この後の日本は「高度経済成長路線」を突っ走ります。

高度経済成長は昭和30年代後半からですが、昭和30年から35年頃までは、「もはや戦後ではない」と言われ、日本の社会構造が大きく変わっていく「助走」期間だったように思います。

昭和28年生まれの、この僕でも、小学に入る前の「原風景」として、まだ、近所には田んぼや畑、下知の池、葦の茂げる沼地、バッタが飛びまわっていた空き地、荷馬車、肥溜め、バラック住宅、共同便所、缶けりをした路地・・・・・が記憶されています。

あの頃はどこにも「3丁目の夕日」が輝いていた・・・・。

その景観が急激に失われていったのは、小学に入ってからだったと思います。
映画「野菊の如き君なりき」は、ストーリーとして、平凡ですが、当たり前の風景として撮られた自然描写は、懐かしく、素晴らしい。今の信州でも、もう撮れない「記録」的な価値があります。

電柱、アンテナ、舗装道路を避けて、山や田畑は撮れるかもしれませんが、かやぶき農家、白壁の土蔵、庭の様子や農具、百姓のしぐさなどは、まず撮れないでしょう。どこかの「街並み保護区」を使っても、「セット」的な「作られた風景」になり、風景に自然に溶け込む、役者の動きとはならないでしょう。どこか、アンバランスを免れない。

そう、この映画の残した「当たり前の風景」は、完全に「幻」かもしれません。

写真は第4回映画会

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posted by うんちくウメッチ at 21:16| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

家内が「放射線」の紙芝居を作りました。


「放射線」の被害を直接受けている福島県でも、「放射線」を浴び続ける恐ろしさについては、子どもたちには浸透していないことが、3月19日の新聞で報じられていました。

戸外で遊びまわりたいのが「こども」、そんなことすら許されない状況を作り出した原発を、まだ、「再稼働」させようとする、この国の政治に語る言葉もありません。

家内(小学教師)が、放射線の恐ろしさを訴える、「子供向け」の紙芝居を作りました。
あの「3,11」の後、徳島県の中学教師、富田真弓先生は「今、原発や放射線のことを授業で取り上げない教師は、教師じゃない」と、四国の教員たちに呼びかけていました。

家内たちも、富田先生と連絡を取り、「自分たちは何ができるか」と考えていたようです。
放射線の恐ろしさを子ども向けに書いたイラストブック『放射線になんかまけないぞ』(太郎次郎社 2011,12発行)が出され、「読むだけでなく、子ども向きの紙芝居にしてみては」と、早速、作ってみたようです。

目下、家内たちの小学教師のネットワークで、それぞれのクラスが、この「紙芝居」を使って「授業」を始めました。大勢の子どもたちに「放射線」についてわかってもらうには、1人で読むよりも、「紙芝居」の授業がいいようです。

今、汚染地域の子どもたちは、時間を忘れて、外で遊びまわることすら許されません。
教師が「仕事」として、「線量計」を首にさげ、運動場のあちこちを測りまわる・・・・
もう、「異常」な姿です。しかし、これが「現実」。

「紙芝居」がどれだけの「力」を持つか? まず、ネッワークを通じて、「授業」をやってみる、そんな学級が増えることを願ってやみません。



写真は「紙芝居」の一部

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posted by うんちくウメッチ at 20:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

3,11「反原発」高知集会を考える。  現役教師は1人も見なかった

「3,11」の日に、高知でも「反原発」集会がありました。

約1000人の参加。この参加数は重要です。「多い」か「少ない」か、人によって、評価は違うでしょうが、僕は、「捨てたものではない」という感想。
この1年間、いろんな集会が持たれましたが、「1000人」規模はありませんでした。

丸の内緑地から、はりまや橋まで、デモ行進しましたが、久しぶりに見る、長い隊列でした。
参加者は、「労働組合」の動員組もいましたが、「親子連れ」「市民」などが中心。従来の「労組中心」の集会とは雰囲気も違っていました。

「超党派」の呼びかけでしたが、中心は「個人」でしたし、「行かされる動員」ではなく「意識的な積極参加」が多かったと思います。

高知で「1000人」集まったからといって、原発はすぐに「廃止」できるものではありませんが、この意識的な「1000人」の集まりは、大きな意義があります。

こんな長い隊列は、その昔の「メーデー」以来。昔は教師でも、学校に、「授業要員」を残して、「5割参加」が当たり前でした。
こんなことは、今では「夢物語」。あの「大阪」だったら、「年休」取っても許されないでしょう。残念なことは、高知のこの集会で、知っている「現役教師」の姿が見えなかったこと。

教師にとって「3月」は超多忙な時、それは理解できますが、それでも、1人も知っている教師と会わなかったのは寂しい。

「君が代くちパク」でも、許してくれない、恐ろしい時代が始まっていますが、「歴史」はファシズムが最も早く「浸透」し、「洗脳化」が進んだのが「教育」であったことを証明しています。

まず初めに「教師」がやられる時代が、またきています。気がついた時には「遅い」!「歴史は繰り返す」!



写真は3,11「反原発」高知集会

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posted by うんちくウメッチ at 20:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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