2011年11月30日

やっと、地元で日の目を見た 石元泰博の作品

このブログを書き始めた1年前にも取り上げましたが(11月21日付)、高知で生まれ、アメリカで写真修行した石元泰博さん(1921年、アメリカ生まれ、3歳で父の故郷、土佐市高岡町へ帰郷、現在の高知農業高校卒業後、再渡米、日系収容所に入れられる。戦後、アメリカ、シカゴで写真を習得、再来日、その後、日本国籍習得)の写真展「写真家・石元泰博の眼−桂、伊勢」が高知県立美術館で開かれています。

1年前のブログで、僕は、せっかく石元さんが、高知に作品を寄託(寄付?)してくれたのに、地元では見ることができず、「死蔵」されていることに、異議を唱えました。

あの時は県外の水戸芸術館で大規模な写真展が開かれ、その作品のほとんどが、「高知県立美術館」から、貸し出されたもの。「水戸で見れて、高知では見れないのか!」と、怒りの声をあげましたが、高知でも、長い時間をかけて、今回の企画の実現にエネルギーを注いでいたようです。ごめんなさい。

写真小僧であった高校生の頃は、「報道写真」の方に興味があり、アメリカに亡命したバウハウス系の写真家たちに、直接習った石元泰博さんの作品は、モダンな要素が強く、桂離宮を撮った作品より、大都市シカゴを取った写真の方にしか関心がありませんでした。今回、地元の美術館が総力をあげて取り組んだ、写真展「桂、伊勢」に、改めて石元さんの力量を見せつけられました。

個人的には「伊勢」より、「桂」の方が好きです。それでも、2つの建築のすべてを細部まで、大型カメラで写しきった迫力を、石元さん手焼き(石元さんは自宅の暗室で、気に入るまで、暗室作業をすると、以前、聞いたことがあります)の白黒プリントで鑑賞できたことはうれしい。

ブルーノ・タウトは「泣きそうなくらい美しい」と言いましたが、桂離宮の美は、今では、石元に撮られた作品が世界に発信されています。ここまで「細部」を見つめた写真家は、日本にはいません。

写真展は12月18日で終わりますが、できるならば、手狭な県立美術館ですが、「石元泰博コーナー」を作って、代表作のシカゴ、桂、伊勢、その他の作品を常設展示(作品入れ替え)してほしいものです。

小さな地方美術館ですが、初めて訪れる方を案内する時、僕は初期のシャガールの油絵、石元泰博の写真、まだ知られてはいませんが、土方久功(ひじかた ひさかつ)の木彫を見せたい。


写真は「写真家・石元泰博の眼−桂、伊勢」ポスター


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posted by うんちくウメッチ at 20:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月26日

ゼロ戦乗りが入ってきました

僕の勤めるホーム(高齢者専用賃貸住宅)に、元、海軍兵曹長 Mさん(大正10年生まれ 90歳, 終戦時 少尉)が入ってきました。

Mさんは元海軍のパイロット、太平洋のトラック島の基地で、ゼロ戦(Mさんは零(れい)戦といいます。)や月光(双発夜間戦闘機)などで飛んでいたようです。

入居初日に、昔の戦争の話を聞くと、食事の手も止めて、話しが止まらなくなりました。

90歳のMさん、眼光鋭く、記憶も確か。背筋も伸び、かくしゃくとしています。

トラック島の基地は昭和19年2月、米軍の大空襲を受け、壊滅、Mさん曰く「破壊された飛行機や兵器から、鍬や農具を作り、終戦まで、「百姓」して食いつないだ」とのこと。

戦史によると、米軍は空襲でトラック島を襲い、上陸、占領せずに無力化し、先に進んだようです。飛べる飛行機を失って、「自給自活」の島暮らし。その様子はまた、ゆっくり聞いてみたいです。

posted by うんちくウメッチ at 10:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月25日

無事、送り出すことができました。


20日の葬儀で、父を送ることができました。

11月23日は、僕たち夫婦の「結婚30周年」。「初めて夫婦2人になったね」、と、感慨深いものがありました。
いまさら2人になって、「何か」をするわけではありませんが、これから先、何年生きるにしろ、新しい「夫婦の型(かたち)」を作っていかねばと思います。

家内の故郷、信州の両親も高齢。今までは、弱ってきた父を置いて、夫婦2人で信州を訪ねることはできませんでしたが、これからは2人で行くこともできるでしょう。

結婚当初から、僕の両親と同居をしてくれた家内にも感謝。「いつでも、信州の親が病気の時は、時間が許す限り、高知のことは心配せず、行っておいで」と、伝えています。

残るは、男2人、女1人の子どもたち、3人とも県外。29歳を頭にまだ未婚。そもそも結婚できる「甲斐性」がまだありません。そろいにそろって3人とも美術関係。「食えなくて当たり前」の世界ですので、「残念だけど、帰ってきても、仕事はないよ。都会にしがみついてでも、生きよ!」と「厳命」しています。

高知に帰ってきて、送り出す時は「今度はニューヨークかパリで会おう」と「ハッパ」!をかけていますが・・・・実現したら、面白い。

死んだ父も僕もフツーの「市井人」。フツーに生き抜くことが、どれだけ難しいことか。

「歴史」は、こうした無名の人々の「積み重ね」。「理論」や「法則」では掴めない「人々の重さ」を感じます。


写真は数年ぶり?にそろったこどもたちと僕


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posted by うんちくウメッチ at 19:39| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月18日

父が逝きました

11月18日午前9時1分、4昼夜、「誤嚥性肺炎」と闘った父が、とうとう亡くなりました。

満85歳、一昼夜、ベッドのふちで姉と2人で励まし、見守りましたが、力尽きました。

最後まで、苦しい呼吸でしたが、乱れることもなく、穏やかな臨終。姉と2人で父の手を握りながら、医療機器の波長がフラットになるまで父により添えたことが、せめてもの慰めです。

85年の生涯。立派に誠実に生きた素晴らしい人生だったと思います。

大正15年出生。戦争中に「国鉄高知機関区」に入り、戦後もずっと「国鉄マン」として40年勤めあげました。

「日本が戦争に負けた日にも、汽車は時間どうり走っていた」というのが「口ぐせ」であり、「誇り」でした。

父については、また、後日、語りたいと思います。この父の子として生まれたことに感謝。

写真は父と姉 11月14日撮影

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posted by うんちくウメッチ at 17:59| Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月17日

父が危ない!


9月末に「老人性肺結核」が発見されて、治療中の父は、結核の症状はレベル8から1まで下がり、だんだん良くなっていました。

ところが、11月14日、「誤嚥性肺炎」にかかり、14日の晩には医師より「今夜がヤマです。体力との勝負ですが、非常に危ない。親族や会はしておいたらいい人には連絡をとった方がいいです」との「宣告」。

結核は順調に回復に向かっていましたが、「胃腸炎」に感染。「誤嚥」により「おう吐」、せっかく良くなっていた「患部」に「吐しゃ物」が感染し、「肺炎」に。

14日の晩には20人近くの「親族」が駆けつけました。僕も姉と徹夜で見守りましたが、なんとか持ちこたえました。

しかし、今も「発熱」の繰り返し。点滴の「抗生物質」が感染をどれだけ抑えることができるか?父の「体力」との勝負が続いています。

14日から2日間、仮眠を取りながら24時間体制で見守りましたが、まだ楽観できない容態が続いています。

71歳で死んだ母も、心臓手術は成功、「明日は退院」という前日の早朝、病院より「容態が急変しました」との連絡で駆け付けました。必死で電気ショックを試みていましたが、すでに遅かったです。

父は満85歳、歳には不足しませんが、せっかく見つかった「結核」も克服しながら、ここまで来ましたので、こんな「事故」みたいな「肺炎」で死なすわけにはいきません。

今は病院より、また、あの「悪夢」のような「急変しました」との電話がかからないことを祈るばかりです。こんな形で親2人を亡くすわけにはいきません。

しかし、さすが2日間の「半徹夜」は、この僕でも堪えます。
昨夜は安定していましたので、病院に任せ、帰って思い切り寝ました。布団に入って「バタンキュー」。

こんなことは、学生時代、「卒論」が間に合わず、3日間「半徹夜」を敢行して以来。書き上げた150枚の原稿を抱え、お茶の水で降り、駿河台の校舎、締め切り6時の事務室めざして、ふらつく足取りで駆け込んだ時、事務室前には、M先生が待ち構えてくれていたなあ・・・・お世話になったM先生も今は亡い。

あの時もしんどかったけれど、あれから30年以上たった、今の僕の「体力」も、すでに「限界」。

「覚悟」はできていますが、すべては「運」に任せるしかありません。

写真は父と僕 14日夕撮影

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posted by うんちくウメッチ at 20:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もろさわようこさんが帰っています。

今や「高知市民」となったもろさわようこさんが、11月4日から21日まで、僕の勤めるホームに帰っています。

10月には出身地、長野県の佐久市望月で、「歴史を拓くはじめの家」結成30周年の会を持ち(http://www.shinshu-liveon.jp/www/topics/node_198523)、全国各地から500人が集まっていました。

東京の家を処分し、1万冊を超える膨大な書籍や資料は望月に移し、ボランチィァの人たちによって整理中とのこと。

民俗学、女性史、社会問題、「平民社」「青踏」関係、景山英子、山川菊枝、平塚雷鳥に関する全集や資料など、後を継ぐ人たちが自由に閲覧できる保存をめざしているようです。
今回は集会を終え、書籍の整理も目途がついたとのことで、21日まで高知で暮らしています。

もろさわさん、ワープロは執筆に使っていたようですが、今はパソコンに挑戦中。
「自分でやれることは、ひとに頼らないの」

87歳に見えない「若さ」は、こうしたチャレンジ精神がもたらすのかもしれません。高知では送った荷物の整理をしていましたが、高知のワンルームでは書籍や資料もたくさん置けないので、執筆は信州が中心のようです。

21日からは沖縄へ、生まれ故郷の信州、高知、沖縄と動き回れるファイトがすごいです。

写真はパソコンに向かうもろさわさん

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posted by うんちくウメッチ at 20:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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