2011年10月21日

嗚呼!100年前から全国最下位   それよりブータンめざせ! 

今日も「生産出荷額3年連続、全国最下位」と、TVのローカルニュースが吠えていましたが、工業生産額も県民所得も、国体の総合順位、全国学テも、と、わが高知県の「順位」が地元の新聞に取り上げられない日はありません。

しかし、そんなことは何も最近のことではなく、高知新聞の前身『土陽新聞』をめくっていたら、明治41年(1908)の記事も同じ。
『我國民の所得  高知県は最下位』(明治41年2月8日記事)

それにしても、この100年間、何をしてきたのか?

最下位が下から3,4番になったからといって、それほどうれしいことでもありませんし、県教委など全国学テの結果が何番になればうれしいのか?

わが県民は、そんな「数字」や「順位」に100年前から、なんら意味を感じなかった「賢明」な県民?・・・・いや、そんなことはない?

しかし、この100年、「追いつけ」以外の価値観を持っていたら、もっと面白い「郷土」や「県民」になっていたでしょう。

職場のK所長は元、県庁の商工労働部長。役人生活のすべてを「最下位脱出」に取り組んできましたが、彼曰く「高知県民は全国最下位といっても、あまり気にしないというか、県民の半分はそんなこと知らんのやないか?」「それより、GNH(国民総幸福量)で9割の国民が「幸福」と答えたブータンのような県をめざしたほうがいい」と「診断」。納得です。

明治41年は、日露戦争も終わり、借金に借金を重ねた「戦費」の返済に苦労した「大増税」時代。国民にとってはまさに、生きるのがやっと、急激な近代化の矛盾が噴き出した頃です。

何か、「3,11」後の現在に似ている気がします。

この後、歴史は教科書的には「大正デモクラシー」を迎えますが、国民の生活全般は「大正でも暗し」でした。

100年変わらなかった「順位」は、変えようがありません。変わったところで知れた順位でしょう。それよりも、「最下位」が悲観するほどのものではないと誇れる、「新しい価値」を作り出す郷土にしたいものです。「3,11」はそうすべきことを教えてくれました。

古い新聞から学ぶことは多いです。

写真は『土陽新聞』明治41年2月8日紙面


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僕のブログも1周年

「獅子ヶ谷書林」1周年、おめでとう。

昨秋、のんべの店主が「獅子ヶ谷書林」を始めてすぐ、「お前も何か書け、もうブログ欄は作った」と、一方的に仕組まれて、書き始めたこのブログ。

のんべの店主は、気楽を装ったブログを書いていますが、「商売」となると、そうはいかないでしょう。おのれの才覚で食っていく「喜び」と「どん底」。両極端を日々感じながら、それでも好きな「本」にこだわるところが偉い。

しかし、初めは、無謀なこの店開きに、いつまで続くか、心配したものですが、まあ、なんとかやっているようです。全国区の応援、支援がこれほど彼にあるとは、驚きました。人柄でしょう。死んだら、地元、筆山にあるT野家の墓に、スタンダールではありませんが「読んだ。 飲んだ。 すった。」と、刻んであげましょう。

このブログもとうとう1年になります。1年で約100本、まあ、ペースはこんなものでしょう。「駄文」でも、人さまにさらけ出すには、それなりの「推敲」がいります。

この1年は僕の仕事再開、父の入、退院、自動車免許習得、ヘルパー免許習得、父の再入院と、けっこう目まぐるしい1年でした。父の肺結核はしばらく長引きそうで、帰りは毎日、病院に寄っています。家は家内と2人、静かな日々。

教師の仕事も退いて3年、「外の目」で見ると、この世界は「教育村」。図書館建設での対応、ころころ変わるご都合主義の「高校入試制度」、一方的な「小規模高校潰し」…すべてが腹の立つことばかり。「全国学テ」の点数を上げることだけに汲々する以外、何をやっておるのか、見えてきません。

これほど,教育行政において、「お上」が強権的だったことは、僕の教師時代にも無かった。
今後、ますます悪くなるでしょう。「もの言わぬ教師」たちは、じっと言われたことだけ何の文句も言わずに続けるしか無い・・・・?

かろうじて「元教師」の肩書は、部落の子どもたちに話をしてくれということで、細々と繋がっています。今度は「解放子ども会」で「水平社宣言」について話すことになりました。

目の前の「部落差別」に怒りを覚えながら、教師の出発点だった、最初の赴任地に帰ってきたこと、やっぱり「縁」があったのでしょう。「学校」で教えることは無くなりましたが、「開放子ども会」が、今の僕の「学校」。できることは引き受けています。


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2011年10月10日

安岡章太郎『流離譚』を生んだ家


3連休も2日間は仕事で、今日はやっと休み。

香美市美術館で「船越 桂」の彫刻展を観た後、山北にある「安岡家住宅」を久しぶりに見てきました。

「お下」の安岡家として、長編『流離譚』の舞台です。

幕末の当主、文助の3人の子どもたち、嘉助は土佐勤王党に参加、土佐藩参政、吉田東洋を斬り、脱藩上京。吉村寅太郎の天誅組に参加、十津川で敗れ、捕えられて京都で打ち首。
覚之助は本家の養子になり、戊辰戦争、会津攻めに参加、会津城下で流れ弾に当たり、戦死。道太郎は幕末を生き延び、植木枝盛たちと自由民権運動に参加。「よしや節」を作り、大衆的な運動を担います。

文助の残した「日記」を読み込みながら、章太郎さんは史実をベースに土佐の郷士の姿を『流離譚』で描ききりました。

20数年前には、色川大吉先生を連れて、母屋の縁側で、ご当主(安岡章太郎さんのいとこ)と話したことがあります。なにせ築200年近くの「郷士屋敷」、その後、広大な屋敷も、十分な修理ができないままになっていましたが、2005年7月、国の重要文化財指定を受け、現在は長い時間をかけて修理、復元中です。

御成門、本門、百姓門を持ち、敷地には射場まであった広大な屋敷ですので、維持管理が大変.個人宅で残す限界を考えると、国の文化財として残すしかないのかもしれません。

『流離譚』は長編大作、僕が読んだ日本の小説では島崎藤村の『夜明け前』に次いで長いかもしれません。読むには、相当の「根気」がいります。出たばかり(1981年新潮社刊 今は講談社文芸文庫 版切れ中?)の頃に読みましたが、むしろ、今、読んでみたい気もします。

著者の安岡章太郎さんも、もう90歳を超えました。お元気なのでしょうか?すでに「文化功労者」ですが、遠藤、阿川が「文化勲章」をもらったみたいには、この人はもらわんでしょう。そんな気がします。

最近は娘さんの治子さん(東大教授)が光文社古典新訳文庫でドストエフスキー『貧しき人々』『地下室の手記』の訳者として活躍しています。

今年は、つい最近、車で信州飯田、坐光寺周辺を通り、そこで、藤村『夜明け前』の青山半蔵が「平田国学」の門人と行き来したことを思い出したり、高知では、今日の山北の安岡家や『海辺の光景』で描かれた、あの「あこめ」(高知市瀬戸)の病院に行ったり、島崎藤村、安岡章太郎、妙にこの2人の作家に「縁」があります。


写真は「安岡家住宅」 国指定重要文化財

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posted by うんちくウメッチ at 23:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月08日

『金枝篇』(岩波文庫)翻訳者 永橋卓介のこと

僕はいま、福祉関係の施設に勤めていますが、そこの「所長」のKさんは「本好き」。
元は県庁の部長さん。お役人には珍しく「文系軟派」。読書の好みが似ていて、よく雑談します。この1年でなかなか聞けない「県政裏話」をたくさん聞くことができ、わが故郷「土佐」を考えるとき、大いに参考になります。本好き、話好き、興味の範囲が似ている「先輩」がいるだけでも、この福祉施設に勤める甲斐があります。

先日は岩波文庫『金枝篇』(フレイザー著)の翻訳者、永橋卓介(1899〜1975)さんが中村高校の校長の時、生徒であったという話になりました(Kさんは昭和31年から34年在学)。

社会人類学の古典『金枝篇』は岩波文庫を代表する翻訳のひとつですが、訳者が土佐人であったことは、あまり知られていません。
たしか、地元新聞K社重役の、同姓のN氏も「一族」。

Kさんに「永橋卓介校長はどんな人でしたか?」と聞きますと、「小柄で端正、姿勢正しく、直角の道は直角に曲がる人だった。学校中にあの校長はすごい人という伝説があった」とのこと。近寄りがたい「オーラ」もあったのか、校長官舎に押し掛けて話を聞くなどということは無かったようですが、どこかフツーの校長とは違った存在であったようです。

僕もあの『金枝篇』を翻訳し、今もずっと読み継がれている(現在は文庫5巻の一部が版切れ)文庫本を、この土佐人が訳したことをちょっと誇りに思いますが、訳者、永橋卓介さんのことを書いた文献には出会っていません。地元、土佐でも伝記はありませんし、書かれたもの、本人が書いたものなども無いのではないでしょうか。

抄訳でも文庫5巻の『金枝篇』は、その名前は知っていても、読んでみようという「馬力」は起こってきませんが、そんな名著の翻訳者、永橋卓介さんが、どんな人だったか、誰かご教示願います。当時、一緒にやった教師や付き合いのあった人の話しを聞いてみたいものです。


posted by うんちくウメッチ at 20:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月07日

発見! 金高堂に「古書部」ができていました

朝倉にある「朝倉ブックセンター」にしばらくぶりに寄りました。新刊書を眺めていて、ふと、お店の西側のスペースに、何やら、本棚が並んで、どうも「古書」臭いなと、足を進めたところ、やっぱり「古書」コーナーでした。

けっこう買いたい本が並んでいるような気がして、しばらく「あさり」ました。

さすが金高堂、社会科学、哲学、美術、文学・・・・高知ではお目にかからない「古書」がけっこう並んでいました。
ヤスパースの「実存主義」が並んでいたり、安い価格の本は真面目な「書き込み」や線があったり、想像ですが、近くに大学があるので「重め」の本は先生たちの蔵書の放出でしょうか。まだまだ本棚に「空き」がありますので、「完成途上」という感じ。

「パルプ本」は商売仇「ブ」と同じ100円。他の本は破壊的価格は付けていませんが、それでも良心的価格。担当に「目利き」の女性を置いていて、新潮文庫の外国文学など、絶版、版切れをよく調べていて、定価より高い値を付けています。

これには「恐れ入りました」と脱帽するしかありません。しかし、こうした価格設定が高知でうまくいくかは疑問。どだい、それでも買いたい人が、この高知でどれだけいるのか?
お客の動きを眺めていましたが、新刊コーナーには集まっても、「古書」には流れていません。

いつから「古書コーナー」を始めたのかは知りませんが、「目利き」の担当者により、面白い「古本屋」になりそうに思いました。しかし、簡単には伸びないでしょう。

「文化不毛」の土佐で、こんな「古本屋」ができたことに感謝。ここは駐車場もあるし、帰りの「寄り道」が楽しくなりそう。社長のYさんは急逝しましたが、いい「置き土産」を残してくれました。

新刊書店の「間借り」ではなく、堂々と「金高堂古書店」になってほしい。書店員のセンスに任せて、勝負をしてみる・・・そんなバクチを打ってほしい。

早速 松永伍一著「土塊のうた」「土着の仮面劇」「森有正 小田実対談集 人間の原理を求めて」の3冊購入。3冊で800円。これは安いか、高いか、はたまた、フツーか?


写真はその3冊 、合計800円也

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posted by うんちくウメッチ at 20:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「内山学級」2回目の勉強会


6日夕、哲学者 内山節さんを講師に、2回目の勉強会(講演)に行ってきました。

高知県自治労の付属機関「こうち自治研」の主催。自治労組合員の中にも、内山節さんから学びたいと考える人たちがいるのはうれしい。3月1日の第1回目の勉強会(講演)の後、「3,11」を経験し、内山さんは最近『文明の災禍』(新潮新書)を書いています。

近代以後の資本主義の発達は、「資本主義は無限に発展しなければならない」というテーゼのもとで、そのためには「自然も無限になければならない」という、ありえない「資本主義の不正」を持ちながら発達してきたこと。そうした矛盾の解決が「将来の科学の発展」に「丸投げ」され、今まで来たこと。そうして発展してきた「巨大システム」が「崩壊」したのが、今回の「3,11」であったと話されました。

また、最新刊の『文明の災禍』では
「・・・・率直に述べれば、危険だから原発はやめるべきだという論拠だけで、私は原発の終了を主張する気はない。もちろん、安全だとは思っていない。だがその前に、私は原発を必要なものだと考えるような生き方は、したくないのである。」
「私たちがつくりだした現代世界は、このようなところまできてしまった。現代文明をみなおさなければならないと多くの人が言う。しかし現代文明の表層をみなおしただけではどうにもならないだろう。焦点をあてなければいけないものは、もっと根源的な何か、である。」と記しています。
また、今回の講演の最後に、「悲観的、絶望的に世の中を見るのではなく、今回の東北大震災・津波後の脱原発行動や、ボランチアたちの活動や考えを見て、私たちの社会は前(昔よりは)から変わってきている。絶望感より、やれそうだという気持ちが強い」ことを強調していました。
内山さんにしては、ずいぶん「おとなしい」論理だなと、思わせられる場面もありましたが、「考えることを止めない姿勢」から鋭く発せられる言葉は、いつも、突き刺さってきますし、「宿題」を残してくれます。

僕はこの「講演」が、今後も継続していくのかどうかは知りませんが、ひそかに「内山学級」と名付けています。ただし、この「学級」、凄い「講師」のわりには「生徒」が少ない。

今は「テレビタレント」化した講師が人気の時代ですから、この高知で「哲学者 内山 節」から学ぼうとするのは、まあ、これくらいの人数でしょう。

いや、彼から学びたいという人々が「これだけ」いることが、高知での「希望」かもしれません。

以前のブログでも書きましたが(3月2日)、わずか、3歳年上の内山さんには最初の著書『労働過程論ノート』(1976 田畑書店)で出会って以来、「気になる物書き」として、ずっとマークしてきました。「山里」ものや「経済学」より、僕には『哲学の冒険』(正続2冊1985 毎日新聞社)が強烈でした。「よくもまあ、こんな本を、中学高校生のころから読んで、それも、今のオレよりずっとわかってる」という「思考のレベル」の違いを思い知らされました。この本は今では「平凡社ライブラリー」で再刊されていますし、何度読んでもいい。若い世代に読んでほしい。

写真は昨日の講演 、最新刊『文明の災禍』、「名著」の『哲学の冒険』(毎日新聞社)

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posted by うんちくウメッチ at 20:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月01日

「明治」は悲しい時代です


「土陽新聞」明治41年(1908)1月1日 お正月の紙面
得月楼本店ほか
芸妓ノ部
春 小妻 喜蝶 花松 千代香 三ツ龍 駒春 駒助 ・・・・・・
娼妓ノ部
夕霧 喜孝 思君 文之助 遊蝶 葵 若千代 品子・・・・
その他の遊郭として
春日楼 大花楼 玉島楼 桃園楼 松月楼・・・・

新年の紙面の半分を使って、高知の遊郭の名前と、芸妓と娼妓の名(源氏名)の一覧
得月楼グループだけで芸妓66名、娼妓25名
お正月の特別紙面に堂々と、遊郭とお女郎さんの名前が載る、それも「地方名士」と同じ紙面。
こんなことが当たり前の時代だったようです、今では考えられません。

先日、勤め先の施設で観た『たけくらべ』(樋口一葉原作 五所平之助監督)には感動しましたが、主人公美登利(美空ひばり)や姉たち(岸恵子ほか)がお女郎さんや妾になっていく姿に、ちょっと得も言われぬ「悲しみ」を感じてしまいましたが、そんなことが特別珍しいことではなく、至極「当たり前」だったのが、「明治」の時代です。
こうした「風俗」や「文化」は戦後生まれの、もう60歳に手が届こうとする僕たちなど、「文学」や「映画」でしか知り得ない世界です。

ずっと続けている「高知市史 近代編 年表作り」の作業で、当時の「土陽新聞」のコピーをめくり、マーキング作業に取り組んでいますが、「老眼」が進みながら、紙面のこんな「広告」から歴史を学んでいます。

それにしても「明治」は悲しい時代です。


写真は『土陽新聞』明治41年1月1日紙面
得月楼や遊郭の新年広告


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posted by うんちくウメッチ at 20:23| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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