2011年06月29日

実習が終わりました。「老い」の尊厳

5月末から、10回の講座と3日間の実習、この27,8日は仕上げの病院実習でした。

2日間の病院実習は「現実」を見せてもらいました。入院患者は介護度4〜5の高齢者。それも認知症で脳の機能障害で硬直があるなどの重症者。

入浴の介助ではベッドからストレッチャーに担いで移し、患者さん本人に入浴している実感がどれほどあるだろうかと思いながら手伝いました。

昼食も介助しながらスプーンで口元に持っていき、食べさせます。「寝たきり」は鼻や喉からチューブ。2時間に一度の体位交換、シーツ、オムツの交換など、休む間もない忙しさ。2日間の立ち仕事でしたが、疲れました。

とても家庭では看護できない重症者だと思いましたし、こうなっていても、それぞれの患者さんに生きてきた「歴史」があるだろうなと、いささか感慨深いものもありました。

「できる限りは家で面倒見たい」という気持ちがあっても、ここまで症状が進むと無理。どうしても病院や介護施設にお世話にならなければ続かない、というのが正直な気持ちです。この状態を置いて、外に仕事には行けないです。

日本の「教育」は、「自分のことは自分で」「人に迷惑をかけない」「他人の世話にはならない」と、すべての領域で、小さいころから刷り込まれ、反面、「人はやがて老いる」「自分のことは自分でできなくなる」「人の世話になることは恥ずかしいことではない」ことを教えていません。

また、「核家族」化が進み、祖父母が老いて行く姿を日常的に見てきた子どもは少なく、「老いる」ことを否定的、忌避的にしか見れない価値観が支配しています。

さらに、マスコミは「元気で」「長生き」する姿だけが「立派」であるかの様な取り上げ方をし、偏った「死生観」が刷り込まれていきます。

「歳は取りたくない」「寝込んでまで生きたくない」というのは、ごく普通の気持ちですが、人はやがて、「歳」を取りますし、「老い」、「病み」ます。誰も逃れることのできないものですが、こうした当たり前の「生老病死」が、「教育」の中で取り上げられることは少ないです。

「元気で生きる」ことを教えながら、同時に「老いて死ぬ」、「病んで死ぬ」ことも、「教育」は積極的に教えるべきです。

「できなくなる」ことや「できない」ことに共感しない「健康観」が「差別」を作り出していること、また、タレント化した「えせ学者」に「脳や精神の働き」を教えられ、「健康」を強いられるこの国は異常です。

僕は死生観なき「医学」や「科学」は「差別の再生産」に加担していると思います。
「原発」推進の科学者の今回の態度がそれを証明しています。

死んでいる肉親を、生きているとまで偽り、年金をもらう・・・・
「死んでもらっては困る」ことが「愛情」からではなく、残された家族の「生活」のため・・・・

なんとさみしい「老い」が支配する時代でしょうか。「老い」の尊厳はどこに・・・・
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2011年06月27日

伯父が監修した本が出ました

家内の伯父((由井 格)が監修した『忘れられた王国1930〜1940年代の香格里拉・麗江』(ピーター・グラード著 )を送ってきてくれました。

伯父たちは雲南西蔵民俗研究会や横断山脈研究会を組織し、たびたびチベットや雲南、麗江方面に入っていましたが、今回、過去に抄訳の出ていた『忘れられた王国』を完訳し、このたび発行されました。

著者グラードが合作社づくりに歩いた寧浪地区は1949年の新中国成立後も奴隷制が続き、ようやく1956年になって奴隷制度廃止宣言が出された外国人が入ることができなかった未踏の地区。過去にはこのレポートは抄訳が出されていましたが、今回、原著からの完訳とのこと。

僕は中国は行ったことはありませんが、近代化された大都市には興味は無く、たびたび行った東南アジア諸国、さらに、そのメコン川の奥地、麗江の流れる雲南地方には行ってみたい。

社会主義化の進んだこの地域でも、24の少数民族が公認され、伝統的な文化が継承されているようですし、グラードの書いた70年以上前とどう違ったのか、ぜひ現地を訪ねてみたいです。

伯父は若い頃からの「山や」。歩き、登った故郷の南佐久郡や秩父、南アルプスの「生き字引」みたいな人。
最近は故郷、川上村に残る金山の調査や文化財保護に取り組んでいます。

退職後、故郷に建てた山荘みたいな家にはうなるほどの本と資料があります。興味も似ていますし、知らない書籍の山を探るのは楽しい。

もう、5年も行っていない、家内の故郷、長野県南佐久郡川上村に、今年は帰って、「八ヶ岳」「地酒」「そば」「いわな」「本」・・・興味は尽きません。

5年前には千曲川源流まで、山登り。ここから始まり、千曲川、信濃川となり、最後は日本海へ。水源は8月なのに数秒と手を入れておれない冷たさ。

退職して、1年の半分(5月から11月)は信州、後の半分(12月から4月まで)は土佐、こんな暮らしが理想でしたが、なかなか実現しそうにありません。

ジトジト暑い高知の夏はたまりませんが、最高気温30度にならない涼しい八ヶ岳山麓の村は「読書」と「昼寝」「山歩き」には最高です。
ついでに「ソバ好き」には、「川上そば」があれば文句なし。

この8月、取ったばかりの免許で、はたして何時間かかるかわかりませんが、愛車の「軽」で、八ヶ岳山麓の村まで突っ走しってみる・・・これが「夢」


写真は『忘れられた王国』ピーター・グラード著 由井格監修 左藤維訳 社会評論社


2011、6発行

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2011年06月25日

第5回八郎学級


6月24日夕、八郎学級開催。今回はこの「21世紀新八郎学級」の言いだしっぺ、母校G高校12期生、元吉仁志さん(通称ガンさん)が講師。

いつもこの学級の案内を出し、テープ起こしをするなど、役のかかる裏仕事を引き受けてくれています。
ガンさんは高校の山岳部の先輩であり、その後、東京農大山岳部員でした。

学生時代は一緒に知床岬に行き、厳冬期の番屋で40日ほど過ごしました。
羅臼から流氷を歩いて岬まで、30キロのザックをかついで到着、番屋を借り、僕はプロカメラマン目指して、流氷を追いかけていました。

羅臼岳に登った時は斜面で滑落、ガンさんがザイルパートナーで命拾い。恩人です。76年、77年と、続けて2回、厳冬期の知床に入りました。

今まで生きてきて、40日も「女性」にあわず、男だけで過ごしたのは、この時しかありません。40日後、この世のすべての女性が美しかった!また、40日も風呂に入らなかったことも無し。4月に撤収して釧路から列車に乗った時は、僕たちの周りには乗客が寄り付かなかった!

ガンさんはその後、山登りからインドへ転向。1976年、ラジャスタンに入り、人形使い、楽師、踊り子など、「ロマ」(ジプシー)の源流である人びとと数か月も過ごす「大陸浪人」となりました。今までの人生で過ごしたインド生活は,延べ4年。インドには30回近く入っています。

「インドに行くと、二度と行きたくなくなるか、何回も行きたくなる」といわれます。
それだけ、はまれば、魅力のある国なのでしょう。

僕にはインドは未知の国。一度は行ってみたい。
話しによると、急激な近代化が進み、今までの社会構造が崩れてきていますが、宗教や伝統など、日本が近代化するうえで、捨て去った「精神文化」は、この国では温存しながら発展しているとの報告がありました。

今回の「八郎学級」は「山や」ガンさんの人脈から、卒業生以外の参加も多く、後の懇親でも、面白い話しが聞けました。50枚のスライドを映しながらの講演、できたら、楽師の音楽も聞きたかった。

詩人の、恩師、小松弘愛、林嗣夫両先生にも久しぶりで会うことができました。
30年以上前の「八郎学級」生もほとんどは、それぞれの仕事をリタイアし、その後の30年の中で培った人生観や社会観など、若い頃の思想が練れてきて、どの卒業生の話も興味深いものがあります。

話しを聞きながら、一度はインドに行かなければ、それもできるだけ早く、そんな気持ちにさせられる講演でした。
もう30キロのザックは担げませんが、15キロはなんとか。 ガンさんお疲れ様。



写真は24日の「八郎学級」      知床の写真  流氷上のガンさん(右端))  岬風景   1977年3月(U原撮影)

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2011年06月20日

国会移転論 現地でないとわからない


もう「イカン」、もう「アカン」と、居座り続けるカン首相に与野党ともなすすべもない体たらくですが、ホント、開きなおると、人間は強い。ただ、誰が首相になろうと、関係無し。こうした「コップの中の嵐」、「目クソが鼻クソを笑う」連中には、もはや付ける薬など無し。治らぬ「政治病」には薬などモッタイナイ。それよりも・・・

提案

1、 今後最低1年は国会議事堂をフクシマに移す。

2、衆参両院議員は現地フクシマに建設される、「議員用仮設住宅」に住む。 
ただし、家族持ちの議員は家族でフクシマへ住むこと。こどもが小、中、高校生ならば、フクシマの学校へ入学さすこと。独身の議員は「単身者用仮設住宅」に入居のこと。

3,原発の存続、廃止について「国民投票」を実施

4、存続、廃止になろうとも、従来からのエネルギー政策に変わる、国民の納得するプランを出すこと。このままの「原発容認」は不可

5、今後のこの国のいき方を決めるため、老い先短い議員諸公に意見を聞くことよりも、フクシマの子どもたちやフクシマに住んだ自分のこどもたちによく聞くこと。

6、最大電力消費地であるトウキョウト知事は、トウキョウでオリンピックを開くことを止めて、フクシマで開催されるよう尽力すること。なお、オリンピックに要する費用は、すべてトウキョウトが受益者負担のこと

災害にあわれた人々の悲しみや苦しみ、怒りや、希望を共有したいと、口先だけで言うよりも、まず、遅ればせながら、現地フクシマに住みながら考える、これ「教育」の鉄則です。

岩手出身の「平民宰相」原敬の言葉でしたか、「白川以北 一山百文と薩長藩閥政府に馬鹿にされ、冷遇されてきた東北の歴史」を考えるならば、カンさん(長州)、タニガキさん(京都)は先
祖の罪滅ぼしのため、それくらいはやって、バチが当たらんでしょう。

薩長のおこぼれに預かったトサの知事さんなども、リョウマ、シンタロウ、ハンペイタの「張りぼて人形」を高知駅頭に並べるよりも、もう少し「歴史」から学んでほしい。

「イマカラデモオソクハナイ」、仕事もなくて苦労しているトサの若者たちを集め、「カイエンタイ」ならぬ「キュウエンタイ」を募り、100日たったフクシマに送り出し、働き、学んだ智恵はこのトサ
でも将来きっと役立つでしょう。これは貧乏県土佐の立派な将来投資です。

投資にならない、将来性のない僕ですが、よかったら使って下さい。

posted by うんちくウメッチ at 19:55| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

:男の居場所はどこに?「老婆は1日にして成らず」!


昨年秋から介護ホームに勤めて、少し「福祉」の現場のことがわかるようになりましたが、いつも不思議に思い、気にかかっているのは、男の高齢者が見えないことです。僕も男ですし、このことが心配です。

昨日もホームと関わりのある地域の「カラオケ大会」、朝から午後遅くまで、お年寄りの男女の「演歌」に聞き惚れていましたが、約80曲の中で、男の歌い手は10曲足らず。
世の「オトーサン」達は、現役時代、飲み会のたびに歌いまくっていたのに、こうして現役を退き、「オジーチャン」になると、その歌声は消え、今度は「オバーチャン」の出番。
どんな行事を企画しても、参加者の多くは「オバーチャン」まさに「婆々爆発!」

日本社会は、男は仕事一途で、それを「美徳」としてきました。こうした価値観は「教育」を通じ、こどものころから刷り込まれています。「遊び」以外に「夫婦」で行動してきた姿を見ることは少ないですし、外国でよく見かける「社会参加」の分野では、なおさら少ないです。

こんなえらそうなことを書いているこの僕も、「この俺は今後、どうなるか」、だいたい予想がつきます。反省しても、もう無理。

それにしても、世の「オジーチャン」達は、「家」でひっそりしているのでしょうか。

高齢化社会日本で、「オジーチャン」達の過ごし方が、これからは、かなり深刻な問題となるでしよう。

現役時代の「肩書」や「地位」をいつまでも背負い、社会もその「地位」や「肩書」で遇してくれるという「思い込み」で、ひっそり、その生涯を終えるのはあまりにもさびしいです。
よく言われることですが、現役時代、「真面目」、「仕事一途」に生きてきた「オジーチャン」ほど、「頑固」で「プライド」が高く、気楽に集団の輪に入っていけません。
「プライド」を捨てきれないなら、いっそ、それをうまく活用する企画が求められます。

手先の器用な人は「オモチャの病院」、元教師は「躓いているこどもの学習援助」、土に親しんできた人は園芸、農業指導など、ただ、役所の事務系一筋は難しい。
「自分もまだ、社会で役に立っているんだ」という希望が持てる「課題」を模索していかねば・・・

昨日は「父の日」。歌われる「演歌」のなかに「母もの」がたくさんありました。「父」など、どこにも無し。歌までこれか、「男」はさびしい存在です。それに比べて女は・・・

樋口恵子さんの「名言」!「老婆は1日にして成らず」

posted by うんちくウメッチ at 19:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月06日

読書日録 3,11震災以後


あの3,11以後、毎夕、テレビやネットで「フクシマ」ばかり、見ていました。

後は仕事の往復、5月末よりヘルパー2級の資格を取りに、週2回、街中で1日中勉強しています。6月になり、やっと実習が始まり、眠たいだけの「坐学」から解放され、今は実習で鍛えられています。

おまけに、「遠近両用めがね」の「度」が合わず、ネットの画面は「近々両用めがね」(最近はパソコン用に、こんなのもあるのです)、寝ころんで読む時は「裸眼」、普段は「遠近両用」と、3パターンの使い分けです。

これは、あっさり言って「老化」現象です。どうしようもありません。「介護施設」に勤めていますが、この「老化」のスピードでは「介護する」より、「介護される」方が早い?みたい。そのため、読書も「のんべの店主」ほどには進まず、時々、ネットと本屋、「ブ」で買い込んでいます。
以下、3月の「震災」以後、読書日録

『銀座』 松崎天民著 中公文庫 「ブ」で105円
ただの興味、松崎天民を究めれば、「堀内祐三」センセイクラスになれますが、そこまでの興味は無し。珍しく「ブ」の本棚にありました。それにしても、遊んで暮らせる「新聞記者」も、いい時代があったもんです。

『大地からの贈り物』 太田愛人著  中公文庫  「ブ」で105円
太田牧師の『羊飼いの食卓』が面白くて、この人のは見つけ次第、読んでいます。
キリスト教にも、こんな「野人」の牧師がいるのに感激、一度、「説教」を聞いてみたい。
これで『辺境の食卓』、『田園の食卓』と4冊の「食いもの」シリーズ読了。
近作の『パウロからの手紙』(NHK出版 2009、  1300円)もいい。
ほんとに、この人、どんな「説教」するのやら? 興味しんしん。「説教集」が読みたい。

『波多野精一全集』 全6巻  岩波書店
これは、まず歯が立たないと思いながらも、せめて代表作「時と永遠」ぐらいは挑戦してやろうと、ネットオークションでなんと2300円で落札。こんな日本を代表する「神学者」の全集が1冊400円足らず、「たばこ1箱」とは。しかも、ほとんど「新本」状態。古本屋より安いネットオークションは助かりますが、これは、これで、いい時代なのでしょうか。安すぎます。

『近代日本思想案内』 鹿野政直著 岩波文庫
『道元』 今枝愛眞著 NHKブックス 
学生時代に読んだ鹿野先生の名著『資本主義形成期の秩序意識』(筑摩書房)は面白かった。この本は短文で構成されていますが、鹿野さんの読みやすい文体で「入門書」としていい本です。
『道元』もけっこう理解できました。なんで一度行った「永平寺」の雲水が日常の規則正しい「修行」をするのか、よくわかりました。この本は初版が1976年、それ以来、ずっと発行されているようです。「名著」なのでしょう。「門外漢」にも道元がよくわかります。
自信に満ちた「優等生」道元が、中国に渡り、木端微塵にその「エリート根性」をたたきのめされ、己の「道」を求めていったか、「小説的面白さ」が「名著」なのでしょう。

共に高知のI書店(古書店)で購入。I書店には宗教書の棚もあり、時々、面白いのが出ます。かつて、『宮田光雄集』全8巻、『新約聖書』全4巻『ナグハマデイ文書』全3巻も購入。
ご主人から聞いた話しでは、I書店の親族の方に熱心なクリスチャンがいるとのことで、他の書店ではお目にかかれない宗教書がここには、時々あります。また、意識して、仕入れているようです。

『ヴァルターベンヤミン』(仲正昌樹著 作品社 1800円 新刊)

これはベンヤミンを理解するにはいい本。目下、職場で暇な時、真面目に読んでいます。
素人向き。しかし、ベンヤミンの『複製技術の時代における芸術作品』も、岩波文庫、ちくま文庫、晶文社の全集、河出文庫の新訳と、「翻訳テキスト」の違いで、読み方も違ってくることを教えられました。「専門家」が優しく書くことは難しいですが、この著者は「本物」です。そして、作品社の編集能力の勝ちです。
「翻訳もの」が、月日がたってもう一度、「再考」されて「本」になるのはうれしい。
それも安い「文庫」で手に入るのがいい。

『ベルリンからエルサレムへ 青春の思い出』(ゲルショム・ショーレム著 法政大学出版局 定価2300円がオークションで600円)これから読みます。

ショーレムは最も早くベンヤミンを「理解」した友達。同じユダヤ系。
かつて『わが友ベンヤミン』(晶文社)、『ベンヤミン ショーレム往復書簡』(法政大出版局)は「ひろい読み」しましたが、さっぱり解らず。ショーレムが早くエルサレムに逃げていなかったら、ベンヤミン同様、「出口なし」で、「死」に追い込まれていた、当時のユダヤ人の哀れさを思います。
それにしてもベンヤミンは「死」以外に「脱出」の方法はなかったのだろうかと、アメリカに逃げ込んだアドルノやホルクハイマー、少し後の世代のアーレントを思います。
そして、アメリカに逃げ込み、生きながらえた彼らがいなかったら「戦後思想」はどうなっていたか、興味ある「想像」です。

PS
こんな、しょうもないブログでも見てくれている人がいるらしく、先日はJ中学時代の教え子I君が「先生は最近、ブログを書いていませんが、お元気でしょうか」と、留守中訪ねてきた由。恐れ入りました。I君ごめんなさい。1週間に1本はあげたいですが・・・・・

posted by うんちくウメッチ at 11:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月05日

高知パルプ生コン事件40周年記念シンポジウム  これでいいの?

1971年6月9日朝早く、旭の電車通りを自転車で通学していると、パトカーやトラックが止まり、道路にあふれた茶色の排水を処理していました。
普段の光景とは違う様子に驚きながら、僕は学校へ急いだものでした。その日の夕刊とテレビで、これがそののち「高知パルプ生コン事件」と言われる「公害反対運動」に名を残した事件と知りました。今でも当時のことはありありと覚えています。

これはパルプ工場が垂れ流す廃液の地下パイプに生コンを流しこんで、操業そのものを止める「浦戸湾を守る会」の会長、事務局長2人による抗議の「実力行使」でした。2人は起訴され罰金5万円の有罪。裁判は宇井純さんたちが特別弁護人を引き受けるなど、全国的に注目されました。

実力行使に出たS事務局長は、元、公立小学校の管理職。最初に赴任したA中学ではお孫さんを教え、S夫人とは、市民運動で、一緒に活動しましたし、丸木俊さんが高知に来た時は、俊さん、S夫人、僕の3人で「窪川原発反対運動」の各地を旅しました。

今日はあの事件から40周年、「浦戸湾を守る会」主催のシンポジウムに参加。

正直言って、この会が、どうして、「高知市を水辺の街へ」をテーマに今回の会を開いたのか、よくわかりませんでした。
今、問題となっている「市内」の「新堀川」を残すことに、この会は力を入れていますが、3,11の津波を経験した後、災害に弱いこの「高知」で、水辺のウオーター・フロントを活用し、「水辺」で「街おこし」をしていこうというのに、「ちょっと違うんじゃない、この会の趣旨や発想は、便利一辺倒の近代文明(車社会に象徴される)の奢りを見直すことにあるんじゃないか」と、違和感を持ちました。

確かに「水辺」は残る方がいい。しかし自動車道路を拡張するために、「新堀川」に蓋し、破壊することに反対する勢力が、「水辺」を「売り」に、観光化、観光客誘致、街おこしをしていこうという発想がいまいち「違和感」を自分の中に生み出しました。

あの「観光客」は近代文明の象徴である「瀬戸大橋」(本四架橋)を通って、この「高知」に来ます。「便利な車社会の見直し」というならば、自然を破壊し、利便性だけを強調、おまけにこの四国に3本も架けた壮大な「無駄」や「奢り」「自然破壊」「車社会容認」を撃つべきでしょう。

「水辺」を生かした街づくりは賛成ですが、この会の、本来持っていた「思想」を大事にした「運動」を40年たった今、総体的に議論し、発展を目指すべきでしょう。

浦戸湾に繋がる生態系豊かな「新堀川」を残すことは大賛成ですし、「歴史遺産」としても価値があります。ただ、その「残し方」「運動」は、近代文明を見直す「思想」が「核」です。「街づくりの主体はどこか」「震災対策としてはどうか」等、根本的な議論が必要です。

僕は「貧乏県土佐」では、東京のような、「金」の使い道に困った、いま流行の観光名所型「都市型ウオーターフロント」はいりません。

「貧乏」なら、それに徹し、「車」のための道路拡張もせず、不便で、汚い、葦の茂る、「誰も見向きもしない」、「特別、そこに変な歴史的価値や観光名所化」など考えず、ただそこに存在する「新堀川」でけっこうです。

写真は失われた「新堀川」2007年  撮影U原


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posted by うんちくウメッチ at 21:03| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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