2011年01月24日

秋水たちの復権は・・・・


1911年1月18日 死刑判決

1月24日午前8時6分, 秋水は11名の同志にさきがけて、東京監獄絞首台にて絶命

今日、24日で、幸徳秋水たち12名が刑死して100年を迎えました。

このブログでも以前取り上げたように(11月8日)、秋水誕生地、土佐の四万十市(旧中村市)は、市を挙げて、たくさんの顕彰事業に取り組むことにしています。

刑死後、中村に葬られた秋水の墓は、戦前は「大逆者」の墓として監視され、墓の周りには鉄柵が作られ、こどもたちは、その前を通る時は、つばを吐いて通れと教育されました。
実際につばを吐いて通ったという証言が残されています。

「天皇制」の浸透に「教育」が果たした役割は大きいです。

戦後、今の憲法になり、国家のシステムは大きく変わりましたが、こと、「文科省」に限っては、その上意下達の構造は、ほとんど変わっていません。今でも、「教育」は、国家が最も手放したくない、「直轄」領域です。また、そのことを「何か、おかしい」と考える教師は少なくなりました。

呆れた話ですが、エライ校長センセイなど、「文科省」の表彰状をもらえるとなると、スーツや着物を新調して、夫婦で表彰式の後、「皇居」へ行き、いたく感動して戻ってくる・・・おまけにたくさんの人を集めて、「祝賀会」とやらを開く・・・
こんな滑稽な姿が、まだまかり通るのが、「教育」の世界です。

また、今でも天皇制に関する議論は「菊のタブー」ゆえ、自己規制が働く、悩ましい問題です。オープンに議論することが許されない、もどかしさを抱えたまま、戦後も経過してきました。

こうした傾向はこの、高知でも同じ。あれだけ自由民権を誇らしく思う、わが土佐でも、兆民の愛弟子、秋水までを含めて、民主主義思想や自由民権運動を考える人は少ないです。

昨日は、秋水の生まれた、土佐、中村(四万十市では、どうも、しっくりしません)では、劇団「北辰旅団」による『大逆 百年ノ孤独』が上演されたようです。
昨年5月の高知市公演では、お世話をしましたが、今回の中村では、劇と研究者の山泉進さんの講演が一緒に行われるという、かつてない行事となったようです。
新聞によると、300人が劇を見たようです。

また、昨年から、神崎清さんの「革命伝説」など、大逆事件に関連する著作が復刊されたりしています。
神崎さんたち,「大逆事件の真実をあきらかにする会」の再審請求の運動は実現しませんでしたが、それですませてはいけない、新しい「歴史」を作っていかねばなりません。

まず、出身地の人びとが、秋水を知ろうとすることの意味は大きいです。和歌山、新宮の大石誠之助(禄亭)は、こうした運動で、市民に認知され、評価が変わりました。

土佐は、秋水、奥宮謙之(刑死)、坂本清馬、岡林寅松、小松丑治(3名は死刑から無期に減刑され、服役)など、「事件」関係者5名の出身地ですが(刑死12名、無期12名、合計24名中)、秋水だけでなく、こうした人びとのことも、もっと知られていいことです。秋水以外の4人は、名前すら忘れられています。



写真は「大逆事件訴訟記録・証拠物写」1960年   会員配布のガリ版刷りの発行
「幸徳秋水と小泉三申」鍋島孝明著  高知新聞社 2007年9月

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2011年01月23日

枝盛邸 [ピンク]が証明されました


1月23日、近く取り壊され、書斎だけが市立自由民権記念館に移築、保存される、植木枝盛邸の見学会がありました。なんと、50名近くの参加者。

11月(17日)のブログでも取り上げたように、植木枝盛は、お城の西、桜馬場に残る、この「ピンク」の壁で囲まれた8畳の書斎で、「東洋大日本国国憲案」を書き、歴史に名を残しました。

法律の許す範囲でしか、人民の「自由」を認めなかった「大日本帝国憲法」と比べ、絶対的な自由を認め、「抵抗権」や「革命権」まで盛り込んだ枝盛の憲法草案は、その先進的な内容により、高く評価されています。

築120年以上経つ、この枝盛邸は、その後は別人の所有となり、たびたび増築されましたが、8畳の書斎は、壁が塗り替えられたほかは、当時のままだと言われています。

移築にあたり、ふすまの下張をはがしたところ、枝盛の父、弁七の書状が出てきたそうです。今後、まだ剥いでいくと、枝盛の手習いなどがでてくるかもしれないとのこと。

いくら「ピンク」が好きだった枝盛センセイでも、あの「四畳半襖ノ下張」みたいなものは出てこないでしょう?


床下を調査したところ、床の間の壁が床下まで残り、その壁は、やはり、「ピンク」だったことがわかりました。

参加していた、市史編纂室の筒井秀一さんに「ピンクと言われてきたけんど、実際、どんな色?」と聞くと「はりまや橋の和菓子屋『青柳』の壁に似た、ベンガラ漆喰の色みたい」と教えてくれました。

家は改築され、文化財的な価値は低いですが、今日は、あの憲法草案が書かれた「書斎」に生まれて初めて上げてもらいました。

尊敬する枝盛センセイを偲び、庭に転がっていた、屋根瓦の破片と、腐って落ちていた床柱の木片を「記念」に勝手にいただいてきました。瓦は洗って、「文鎮」がわりに使いたいと思います。

念のため、帰りは「はりまや橋」に寄り、『青柳』の壁も確認。なるほど、こんな色だったのかと、納得しました。

移築、保存される「書斎」は、元の「ピンク」で復元されるそうです。

写真は枝盛邸(外)、書斎跡、はりまや橋『青柳』の壁 枝盛邸(庭から)

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2011年01月20日

そろそろ能力の限界です。方針転換

ななしの店主殿がネット書店を立ち上げると同時に「お前も何か書いて協力せよ」との厳命で、このブログを始めました。

初めは、思いつくままに昔の話がコロコロと出てきましたが、年が明けて、正直、「ネタ切れ」。たいした読書や、勉強はしてないなあと、遅い反省の日々です。


29年間の中学教師時代については、けっこう書きたいこともありますが、「教育」を自主的に離れた身としては、「書かない」ことが大事なことだと肝に銘じております。

そうでなくても、「教育」は1億総評論家的なたくさんの書き手がおりますし、いまさら、僕などが、ノコノコ出ていくこともないでしょう。

大言壮語する教育論には辟易していますし、足元を見つめない「土佐の教育改革」などという掛け声運動みたいなものに、散々だまされてきましたので、この分野はパス。

以下、日録風に   今年になって買った本

1月3日 ブでの収穫

「神話的時間」 鶴見俊輔 熊本こどもの本研究会  105円

以前はブでも高い値をつけていましたが、ついに土佐では売れず、105円に墜落。
正直に告白すると、若い頃、鶴見俊輔などは「食わず嫌い」でさけておりました。
面白かったのは朝日選書の「高野長英」。これを読み、40過ぎて、ボチボチ、この人を義務的に読んでいます。すごい人です。80過ぎて書いたものは「遺言」に近い。その柔軟さに降参。

1月8日 ネットオークションで

「大航海時代夜話」  井沢実著 岩波書店 290円
けっこう、こういう世界史が好きです。「夜話」となっていますが、研究書的読み物です。著者は元外交官。研究熱心で、外交官よりも、学者になりたかったみたいな人。

「中国の革命思想」  小島祐馬著 筑摩叢書   290円

今は絶版みたいで、古書価も高かったですが、土佐の生んだ数少ない、本物の学者。
そのさわやかな生き方は以前、このブログでも取り上げましたが、この本は読んでいませんでした。今の中国が誕生した時は、共産党の一党独裁ではなく、さまざまな政党やグループ、非共産党の知識人など、まさしく「百家争鳴」の建国であったことを教えられました。このままの中国であったら、もっと面白い国になっていた(?)。小島先生が、もう少し、長生きしていたら、文革など、どう見たか、興味があります。

「ルオー」  高田博厚 森有正  筑摩書房 290円

読みたいと思いながら、持っていなかった本。
世俗的な評価など受け付けない、ルオーの内面的な厳しさ。彼の宗教画の深さを教えられました。
これは名著。特に高田の論は優れています。

1月12日

「鉄学概論」  原武史著 新潮文庫 新刊

この著者は「考える人」最新号に「レッドアローとスターハウス」を連載中。今回は第10回「狭山事件」を取り上げ、事件当時の西武線の時刻表からも、犯人とされた石川一雄さんの供述の矛盾を衝き、検察側の捜査が疑わしいことを、はっきり書いています。
こんな雑誌(失礼!)で、この事件を取り上げたことが、そもそも、驚きでした。
元、「国鉄マン」の息子としては、「鉄学」(あくまで、汽車や列車の話)は、少しは関心があります。「鉄学概論」というネーミング、これはいい。「哲学」は何度読んでもパーですが、「鉄学」はよくわかる。

1月14日

東京の円尾敏郎さんより、2冊恵存

「剣戟王 阪東妻三郎」  ワイズ出版 2800円
「月形龍之介」    ワイズ出版 3800円 

1月7日、僕の勤めるグループホームで、この2人の名優の映画会をやってくれた円尾さんが送ってくれました。
日本映画、それも時代劇の俳優をここまで調べた執念がすごい。

「思い出の寺山修司」 萩原朔美 筑摩書房 朝倉のブ 105円

次男が寺山に興味を持っているので、資料として。
出た当時、本屋で立ち読みしましたが、通勤途中の朝倉のブでゲット。ここは本が少ないですが、高知大学に近いせいか(?)、けっこう面白いのが出ます。

「這えば立て」金子光晴 中公文庫

同じ中公文庫の「西ひがし」「どくろ杯」「ねむれ巴里」「マレー蘭印紀行」は何度読んでも面白い。汗と熱風、排泄物、精液、ドロドロに混ざった混沌、野放図、無頼。中公文庫の金子光晴は、絶版にならず読み継がれていることがよくわかります。これは読んでいませんでした。

1月18日  土佐の古書店 I書店

今年はじめての訪問。店番の奥さんに「今年から息子がここへデビューすると思います」と伝えました。

「大逆事件 死と生の群像」田中伸尚著 岩波書店

「世界」に連載された時に読みましたが、資料として手元に置いておくため。新本より1000円安く買えるのはありがたい。この1月24日は秋水刑死100年。
田中さんは「ドキュメント昭和天皇8巻」(緑風出版)から、読み続けています。この人の取材力、執念もすごい。元、朝日の記者。今の朝日の体質では、社におれなかったことが、よくわかります。

「世界」の記事は、資料として保存しておきたいものがたくさんありますが、結局、付箋を付けたまま、いつもあちこち探しだしています。本当は本ごとバラして、その記事や、連載ものは切り取って、合本資料を作るのが理想ですが、やれずじまい。
かつて、高知のオールド社会党員であった方が、戦後の第1号から今までの「世界」をすべて本棚に整理して、資料として検索できるように整理しているのを見せてもらったことがあります。これは役に立つなと、驚いたことです。想像ですが、岩波の「世界」の定期購読者(図書館を除く)は、おそらく高知には20人もいないでしょう。
僕は亡くなった「草の家」の西森茂夫先生が定期購読していたものを引き継いで読んでいます。
posted by うんちくウメッチ at 23:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月18日

御心配かけてすみません。いろいろバタバタしておりました。

今朝、仲良しの小西豊さん( コニヤンのココロのホームページ http://www.geocities.co.jp/HiTeens-Penguin/7202/ )から、「最近、ブログの更新がないので、心配しています。何かあったのではないでしょうか」とメールが届きました。

小西さんには、僕がブログを書きだしたことを伝えていましたが(恥ずかしくて、多くの人には言っておりません)、彼はいろんなところに紹介してくれて、けっこう読んでくれている人もいるようです。彼からは、いつも脅迫に近い激励を受け、困っています。

12月23日に父(84歳)が、追突事故を起こしてしまいました。肋骨骨折、家で療養していましたが、痛みで食事もほとんど取らず、夜中にトイレに行こうとして転倒するなど、正月明けまで心配の多い日が続きました。

1月7日入院。頭のMRIを撮ると、脳梗塞の新しい症状がわかり、骨折よりも、こちらの治療が大事ということで、2,3カ月の入院になりそうです。家に一人でおいて、ろくに食べないよりは、入院した方がよかったです。また、今年の寒さは、家にいる病人や年寄りにはこたえます。

それやこれやで、年末から、最近まで、バタバタしておりました。

これで、もう父も運転免許返上でしょう。いや、返上前に、起こした事故で免停が先?

思えば、45年ほどのドラーバー歴でした。その間、ずっと、軽のミッション一筋。絶対AT車には変えませんでした。
スクーター(ラビットやシルバーピジョンなんていうのに乗っておりました。なつかしい!)から、昭和40年ごろ、中古のスバル360を手に入れ、これまで、スバル360は2台、ダイハツ フェローマックス、その後はずっと、スバルの軽一筋。富士重工の車が好きだったようです。

もともと、国鉄のエンジニア。器用で、スバル360などは、ほとんど自分で車検を行うようなものでした。車体の塗り替えも、自宅ガレージ。コンプレッサーで吹き付け、本手の塗装屋顔負け。なんでも自分でやらないと、気が済まない機械好き。

父のスバル乗り始めの頃から、我が家(家族4人)の高度経済成長の歴史が進みました。

残されたアルバムには昭和43年夏、あの小さいスバル360に乗って、まだ、高速も無い、舗装も一部の国道をひたすら走り、松山着。瀬戸内海を超え、呉、広島、宮島、岩国、山口、萩行きの「2泊家族大旅行」の写真が残っています。

当然、クーラー無し。ドアには風入れの「三角窓」。前には父と母、あの狭い後ろには姉と僕。クラーボックスを積み、冷やしたおしぼりや飲み物で、暑さに耐えながらの大旅行でした。

今、これと同じことをやれ言われても、クーラー無しでは、誰もやらないでしょう。また、もうあんな小さな軽自動車などありません。
不思議と、この40年以上前の旅は「暑かった」という記憶がありません。

まだ、マイカーが当たり前ではなかった時代。「家族で、自分の車で旅行する」ことが、羨ましがられた時代でした。一家4人、自信と誇り(?)を持って、人も羨む大ドライブに行ったことが、暑さなど忘れさせたのでしょう。

呉では停泊中の潜水艦に驚き、広島では、原爆ドームや資料館を見学。山口の博物館では、安重根に暗殺された伊藤博文の血染めのフロックコート(?)を見、萩では、松下村塾や、幕末の志士たちの記念物を廻りました。

この旅は、詳しく覚えていることから考えると、その後の僕の興味や関心(そのことの一部はこのブログにも書いていますが)に火をつけた旅だったのかもしれません。

そろそろ、免許返上の父ですが、「スバル」と父、そして「高度経済成長」に感謝!

posted by うんちくウメッチ at 22:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月07日

新春 「阪妻」 上映会

1月7日、僕の勤めるグループホームに映画研究家の円尾敏郎さんと、高知で自主上映会をやっている田辺浩三さんが来てくれて、『水戸黄門』(月形龍之介)『血煙 高田の馬場』(阪東妻三郎)を上映してくれました。

ホームには、介護が必要でも、比較的、症状の軽い人が入所していますので、食事のサービスを受ける人や、自炊する人などさまざまです。しかし、多くの入居者は車椅子、や杖を必要としていますので、ヘルパーの支援がないと買い物や、気晴らしの散歩に出ることなどはできません。

このため、どうしても、各自の部屋にこもりがちになり、施設にいて、生活に困らなくても、孤独になりやすい問題があります。

衣食住、至れりつくせりのサービスがあっても、「心」や「精神」の満足や充実感は別問題です。

お年寄りであっても、「今日はこれをやろう」と熱中できる「プチ仕事」が必要ですし、ある程度の「負荷」がないと、安心、安住しすぎて、かえって「老化」が進むことを教えられました。趣味でも、閉じこもり型の一人でする趣味は、どうしても閉鎖的になり、そればかりだと問題もあります。やはり、社会や人と繫がり、交わることが大事です。

今回、円尾さんと、田辺さんが、そうしたお年寄りのために、本格的な「映画」上映を考えてくれました。
2人とも「活動屋」みたいな人ですから、暗幕張り、16ミリ映写機の操作もお手の物。

昔の「映画館」の雰囲気で上映したいということで、汗をかいてくれました。

円尾さんは、面白おかしく戦前の日本映画における時代劇の重要性や、阪東妻三郎、月形龍之介、2人の名優の演技について語ってくれました。

「学校の修身教育より、こうした時代劇が国民の道徳の普及に、はるかに影響力があった。主人公、中山安兵衛が大酒を飲んでも、飲む、打つ、買うの男の道楽のなかで、「飲む」は許容範囲であることを示している。このような映画が戦前はお正月映画として、たくさんの観客を集めた。庶民大衆がそこから学んだものは多い」

学者はどうしても「真面目」なことを取り上げ、分析しますが、庶民、大衆に最も影響を与えたものは「遊び」や「俗」なものが多いです。

そうした意味では輸入された外国映画よりも、粗製乱造された国産の「大衆映画」や大衆小説、『キング』」などの雑誌の力は無視できません。

今日は日本映画、特に時代劇から、そのことを教えてもらいました。



写真は今日の上映会

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posted by うんちくウメッチ at 20:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月06日

稲筑炭鉱 イギリス人捕虜のこと


「生まれついての病気で、兵隊に取られることのなかった夫は、兄弟や周りがみんな、兵隊に行き、お国のために働いているのに、自分はそれができんということで、死ぬ覚悟で、昭和15年、稲筑へいったようです。
私は昭和17年、結婚し、夫の働いている稲筑炭鉱に行きました。

捕虜のイギリス兵は、神社の隣の広いグランドのある収容所に入れられていた。
わたしらあは、収容所の塀の隙間から捕虜を見た。

隙間からイギリスの捕虜を見た人の中には、子どもが戦死した母親もおり、その母親は、捕虜を見て、あの人らあも死ねばよいと言っていた。

捕虜が炭鉱で働いているのを、私らあは見ることはなかった。
見せないようにしていたと思う。見せたら、あの母親と同じ気持ちをもっちゅう人がたくさんいたので、捕虜にどんなことをするかわからんと、考えていたと思う。

身体が大きいイギリス人も、そんなにやせおとろえているということはなかった。あの頃は、みんなあ、満足に食べれん時代やった。

戦争が終わる夏には、アメリカのはがきが空から降ってきて、いつ、どこを空襲するとか、どこを空襲したというようなことが書かれてあった。

この炭鉱の上を飛行機は飛んでいったが、ここに爆弾を落とさなかったのは、捕虜収容所があることを知っていたと思う。

戦争が終わってすぐに、飛行機から、捕虜収容所に落下傘がたくさん落とされ、食料がつけられていた。
腹を空かしちょったけんど、わたしらあは取られざった。落下傘の絹糸ひとつでも欲しかった。こっそり、絹のキレをもろうた。

捕虜を監視していた兵隊たちは、戦争に負けて、戦犯になることを恐れて、逃げたし、みんなも協力して、順番で、兵隊をかくまった。」


昼食の後で、お茶を飲みながら、ふっと話してくれた昔の思い出。

よほど、九州、稲筑炭鉱のことが印象に残っているのでしょう。
「稲筑」(いなつき)と聞いて、僕はそこが、どこにあり、また、炭鉱とは知りませんでしたし、「イギリス人捕虜」という言葉が、Mさんの口から自然に出てきたのには驚きました。

話してくれたのは、Mさん(大正6年生まれ 女性)、93歳。足腰は弱っていますが、記憶は確かです。
僕の勤めるグループホームの最高齢のおばあちゃんですが、ここに勤めていると、こんな「歴史」も学べます。

捕虜は虐待されたというような証言がBC級裁判記録には多いですが、「きつい炭鉱の労働では、日本人と、同じくらい食べざったら、この仕事はできんかった。日本人が満足に食べれざったとき、身体の大きい外人が満足するはずがない。」
この印象も「真実」のひとつでしょう。

BC級戦犯の裁判で「日本人は木の根ばかりを食わした」という捕虜の証言は、実は、「木の根」が「ごぼう」であったという話を聞いたことがあります。

Mさんの最後の言葉は「どんなことがあっても、戦争は、もういや」。分かる気がします。


写真は僕の勤めるグループホーム

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posted by うんちくウメッチ at 21:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月04日

本の整理はむつかしい


店主のTも、偶然、今日のブログに書いていますが、本の整理は本当にむつかしい。
僕など「趣味」の問題で済みますが、店主のTには「生活」のかかった問題。深刻さが違います。

皆さんは、手持ちの本をどのように整理されているのでしょう。

「どの本がどこにあるか」、すぐ取り出せるのが理想でしょうが、蔵書そのものが多くなると、なかなか、そうはいかなくて苦労します。

まず、蔵書数に見合うスペースがないと無理。おおよそ1万冊あれば、最低、8畳くらいのスペースに9千冊ほどを分類、整理し、残りの千冊程度は、辞書や資料、今、興味を持っている分野の本を、別の書斎に整理、分類できたら、まず、僕などは困ることがありません。しかし、これはあくまで、理想論。

また、8畳の専用スペースを本のためだけにいただける贅沢など、世のオトーサンには、なかなか難しい相談です。家族全体が本好きで、家の中の本が増えることに理解があることが大事でしょう。

いまや「倉庫」と化した「書庫」ですが、少しでも探しやすい方法として、壁の片方の壁面をすべて、文庫と新書用の15段の棚に組み、約3千冊を収納。五十音順(作者名)に上段から入れました。その他、岩波、中公、講談社学術、岩波現代、平凡社ライブラリー、岩波、中公、講談社現代の各文庫や新書はまとめて収納。

小さい文庫や新書は、この整理でかなり探しやすくなりましたが、単行本は最初の頃は整理できていましたが、本が増えるにつれてパンク。もう、手のつけようがないありさま。

結局、用意したスペースを越えてしまったことが原因です。

せめて、探しやすくする工夫として、全集で手に入れた本は、宣伝のために出版社が作ったカタログやその一部をコピーし、ファイリングしています。

カタログにはたいてい、各巻の内容が記されていますし、数冊程度の全集は、その目次だけでもコピーしておけば、「倉庫」にある全集のどの巻を取り出せばいいか、少なくても、探す時間は稼げます。

僕は「日本庶民生活資料集成」や「日本近代思想体系」中江兆民、田中正造、植木枝盛、馬場辰猪、柳田国男、南方熊楠の各全集や選集、郷土史料の「皆山集」「憲章簿」などは、カタログや目次のコピーを綴じて、利用しています。
また、索引だけの巻がある全集は、この巻だけ手元に置きます。

それでも、本や歴史についてのブログを書き出して、書庫のどこかにあることはわかっていても、肝心の本が見つからない、そんな徒労で、あきらめることもしばしばです。

12月に久しぶりに神田神保町を歩いたとき、全集ものが、非常に安く売られているのに、驚きました。「大航海時代叢書」や漱石、鴎外、その他の作家の全集ものは、「こんな値段でいいのだろうか」と、こちらが心配する値札をつけていました。大きな本は買い手もつきにくいように思いました。欲しくても買えないのは、スペースの問題でしょうか。

同じ本であれば、単行本や大型本の全集より、文庫や新書でそろえるほうがスペース的にはいいですが、歳をとり、小さい活字が見づらくなると、文庫や新書版の全集は、疲れるだけです。

高齢者には、はじめは使いづらいかもしれませんが、活字の拡大ができる「電子書籍」などは、けっこうヒットすると思います。

一部の出版社は活字を大きくした「ワイド版」を出していますが、コンパクトで軽く、自在に活字を拡大できる「電子書籍」機器などは、思った以上に需要がある、そんな気がします。

話は変わりますが、この国ではどんな商品を出しても横文字、カタカナのネーミングが普通ですが、こと、本に限っては「電子書籍」などという漢語ばかりの堅い表現が普及しているのはおもしろい。もう「電子書籍」が定着しましたが、この漢語を、もし、横文字、カタカナに置き換えるとすると、果たしてどんなことばになるのでしょう。

写真は書斎と15段文庫・新書書棚 

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posted by うんちくウメッチ at 23:16| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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